狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

私をエンパワーするのは誰だい?アタシだよっ[2023/12/9(土)]

久々に何もない一日。何もないのでたまには昼まで寝てみるか…と思ったらほんとに12時まで寝てしまった。朝普通に(自動的に)起きたら登山に行こうと思っていたが、取りやめとなる。明日に回す。

着替えて適当に朝ごはんを食べて、掃除などを済ませる。米を炊くついでに1週間分の弁当も作っていい感じ。転職してから1週間の弁当を一気に作って冷凍する方式に落ち着いた。毎日同じ昼飯でも大丈夫な人だから成せる技。abobe illustratorの練習をして、本を読み、夜はプールで泳いだ。冬の閑散期に入ったためか、連続遊泳レーンに人がおらず貸し切り状態で泳げた。水泳くらいだな、子供のころから続いているのは。もちろん中断期間もあったけれど、細く長く続いている。


11月で不用品の整理や大掃除が終わってしまったので、年末年始は割とやることがない…(水回りはもう一度掃除するが)もう一回断捨離するか。Amazonブラックフライデーでランドリーチェストと棚を買うか迷って、結局買わなかった。家具はなるべく増やしたくない。
休暇で帰省する予定もなく、誰かと会う予定もないので、1日おきくらいに登山に行きたい。遭難したら終わりだけども…。いっそバイトでもするかーと思ったが、就業規則を見たら二重就労が禁止されており、ダメポ。昔は正月友達が泊まりに来たりしたが、もうそういう歳でもなくなってきたのか。たしか一昨年は同人誌の編集をやっていて、去年はスキーをしていた。


しいたけ占いは今月ラッキーの月。ほんとか? まだ起きてないぞ? と思い、HPを見に行ったら「新しいことにチャレンジしていく上で、非常に良いタイミング」ということ。幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだね……ってコト?! 「勝ちに行くんじゃない、負けへんで!(over the sun語録)」やっぱり沖に出るのが今のタイミングなのでしょうか。やはり、コミティア用の漫画をそろそろちゃんと描きなさいということか。
今年の秋はさまざまな企画展を見に行っていて「私もなにか創作したい!」と思っても、結局文字以外の創作をしていない。絵や、グラフィックデザインや、漫画など、いろいろやりたい。テディベアも作りたいし、編み物もしたい…年末年始でやるか。
いつまでたっても口だけ人間で(一応、インターネットのママたちにみてもらってないだけで、自分なりに少しずつやったりはしているが)もうすぐ30歳になってしまう。ずっと自意識に負け続けている。ずっと絵を描きたいと思いつつも、自分の下手さ(と変なプライド)を背負いきれず、ここまで来てしまった。創作なんてやるかやらないかなのに、下手か上手いかの軸で自分を見てしまって、土俵に上がらず腐っている。やっぱり「勝ちに行くんじゃない、負けへんで!」ってことじゃない? 自分に。今までの人生は「他人に勝てる土俵でしか勝負しない」で生きてきたのがよくなかったのかもね。
どうしてこんなにも絵に対するハードルが高いのか。文字を書いてお金を得たいという夢は叶えられたのだから、それと同じようにただ取り組めばいいだけのはずなのにな〜。

大学生くらいの頃から、私は年下の絵の秀才を見ては「それに比べて私は…」みたいなことをしている。穂村弘がエッセイで「早咲きの天才を見るとものすごく焦る。でも松本清張伊能忠敬だって遅咲きだったんだ(アラフォー=清張ライン、忠敬ライン=アラカン)」と自分を励ましていたことが忘れられない。今が一番若いときなんだからやりたいならやりなはれや。小説を初めて書いたてから4年たった。同時に絵をちゃんとかいてれば絵も歴4年になってたのにね。

job.cinra.net



見た展示

大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館

展示室に入ると、まず巨大な切子の花瓶のようなモニュメント。高さは10m近くあったと思う。室内にこれほどまで大きい展示は珍しいので、まずそのスケール感に度肝を抜かれる。よく見ると植物をモチーフにした模様が無数にちり場められている。空洞部分にある照明が、ゆったりと上下に動く。それによって影の模様も動く。こういう「動」の展示を自分はあまり見ないので新鮮。
次の大きな部屋に入ると、サウンドスケープのような、薄い布が風になびく展示が暗闇の中に現れる。張り詰めた空気の中で、巨大で繊細な塊が動く。これが本当にきれいだった。「真空のゆらぎ」という展示会タイトルは得てして妙。
これ系の展示に行くと絶対に現れる記念写真大会(ずっと他撮り自撮りしてる人)マンがわんさと湧いていてちょっとうざかった。作品見るのにすごく邪魔なんだが? 自分の顔が映り込みそうで嫌だし。とにかく会期は今月末まで!!無料です!!今すぐ行こう。


読んだ本

小林美香ジェンダー目線の広告観察』

今の広告は『「デキる男とケアする女」というおじさんが作り上げた社会構造』を体言するものだと筆者は主張する。
だって広告の決定権があるの、だいたいはおじさんだからね。そこに何があるのかというと「資本主義社会の下なら、お人々の権利の在り方などどうでもよい」という思想。社会に欲しいのは、おじさんたちの都合のいいように洗脳され、消費してくれる「正しい」消費者だけなのだ……と言わんばかりの本だった。
確かに広告はグロい。男女問わず体にあれこれ指図してくるものが多いし(整形、脱毛、育毛、ダイエットなど)それが「マナー」だと脅迫するようなものも多い。さすがに指摘が多かったのか、コロナ禍以後の女性向け広告は、「わたし」という主語を多用して美と強さを結びつけるコピーが多く見られた。「モテ(異性愛)という他者評価軸」から離れたはいいものの、「サービス(ex.脱毛)」が「女性にエンパワメントを付与する」という構図に。モノを売るための広告だからその通りなんろうけど…グロい。「デキる男」のイメージ(スーツを着てオフィスビルでバリバリ働き、ホモソノリ全開の飲み会に行く)もマジで古い。正直揚げ足取りのような指摘もいくつかあったが、言いたいことはおおむね同意できる。

横尾忠則『ときどき、死んだふり』

「野心や欲望があるとうまくいかないので、あるがままに自由にやるのがいい」という意見。心筋梗塞、難聴を経験し、体が元のように動かなくなったのを「新しい画風を獲得する」ことが出来たとポジティブにとらえていた。まさに泰然自若。「寒山拾得のように、あるがままを生きることが大切だと僕は思います」からの寒山百得展だもんなぁ…すごい。「人生は軽やかでなければいけない。そして単純でなければいけない。絵も同じ。」



今日は朝から非性愛者が叩かれてるのを目にしてしまって(ツイッターのおすすめに出てきた、出てくるな)げんなりする。この国では実質異性愛者にしか人権がない。「そっとしておく」が出来ないのか? 結婚=性愛が正当化されすぎている(法律もそうだし)のが気持ち悪い。性愛って欲求を他者に押し付けることでもあるから、傲慢な面もあると思うのだけれど、それがロマンチックラブイデオロギーの皮をかぶって「正常」の顔をしているのが本当に無理。もちろんまともな人が大半なのも分かっているが、少数派は声がでかい。
それにしても、ツイッターの収益化からツイッターがどんどんおかしなことになっていってる気がする。ツイッターを居場所として使っていたが、本質が変化した今、もうそんな悠長なことを言ってられない。EXODUS…ってコト?!


負けへんで。

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