狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

未満人[2023/12/18(月)]

日記

転職後、初のボーナスが支給された。いい前評判を聞いていたので、楽しみだなっ♪と思っていたが、見事に上げて落とされました。うわっ…私のボーナス、低すぎ? いやいやいや入社前に提示されてた金額より…少なくない? ゑ? と思考が固まる。よくよく考えると、秋に臨時ボーナスが出ていて、それと合算すると事前に提示された金額くらいになった。なんだそのカラクリは…そんなサプライズってェ…。うれしいやら悲しいやら。
前職は基本給少なめ+ボーナス多めだったので、ボーナスの金額が結構衝撃だった。3か月間は試用期間だったからこれが満額支給じゃなかったのかもしれない。先立つものは必要なので、前職から給料下げてまで転職する必要あったかな~と今も正直思うけど、最初に給料下がるのは仕方ない。未経験だし…それより、半人前のスキルでこれだけ金が発生していることを喜ぼうと思った(現状を謙虚に受け止める日本人しぐさ)。フリーだと単価がクソ安い案件もあるのだし。ランダムで発生する期末のボーナスに期待。弊社の評価期待をこめて星5です。〇〇よりマシ思考、あんまよくないけど、これをやらないと人生をサバイブする気力が目減りしていくんだよな。

土曜日はプデュのデビューメンバーとグループ名「ME:I」が発表された。「ME:I」のロゴの中にあるゴシック体の「ミ」に笑う。直線3本じゃだめだったのか…。
発表時後、改めて「人気投票でメンバーを決定する危うさ」を知る。人気投票順なので、グループのバランスなどを考慮された人選ではないし、私にはこれがベストメンバーと思えない。正直箱推しはできないです…。でも国会議員も実質人気投票で選ばれているし、これが民主主義ってコト…!?ラップ、ダンスなどの属性ごとの比例代表メンバーとかもあればいいのに…。


評論

最近、批判と誹謗中傷について考える。2020年以降、文字としてのコミュニケーションが加速した結果、「肯定意見しか認めないファン・信者」が増えたように思う。「△△出演時ののAさんの振る舞いはどうかと思う」と発信しただけで「アンチ乙(よく見る)」「嫌なら見なきゃいいんじゃないですか?(わりとよく見る)」「現実で満たされない顔も性格もブスなヤツがかわいいアイドル叩いて楽しいか?(まれにここまで言う人がいる)」という発言が飛び交う。後半はただの目くそ鼻くそみたいなもんだと思うが、批判が言えない空間はかなり不健全な状態だなと思うし、残された道は衰退(cf.新興宗教)しかない。多様性もクソもない。「推しならどんな姿も受け入れるべきだ!」のような姿勢は、推し活の低年齢化が起因しているのか、社会全体の余裕のなさが起因しているのか…。

ここまで考えて、中野信子の『正義中毒』や『生贄探し』を思い出す。わざわざクソだと分かっている人を叩くと、脳内で快感物質が出るから自治厨の皮を被ったアンチ叩きが発生するのだと思う(彼らは叩くことはしても彼らに正しい行動を示したりはしない)。

こういった「推し議論」00年代までは2ちゃんねるの匿名掲示板が主戦場で(その頃には推しという言葉はまだなかった、ファンスレとか?)、スレッドに肯定意見も否定意見も書き込まれた順番にすべて表示されていた。清濁併せ吞むを地で行くスタイルだ。
一方、ツイッターは一人一人のツイートを検索するかタイムラインを見るかしないと、意見を受け取れない(おすすめ欄に出てきたりもするが)。そしてフォロー&ブロックで目に入る情報を取捨選択できる(cf.エコーチェンバー)。そして発信者が誰であるかも”界隈”に大きく影響を与える。それが大きな違いかもしれない。


話が脱線するが、アンチに対する自治や自浄作用について調べていた時、松丸くんのツイートを発見した。


これは反論ではなく、本人から煽りに出たパターンに分類される気がする。
おおむね同意ではあるんだけど、言い方にちょっと思うところがあった。彼はアンチ行為ではなく、アンチの生き様を煽っているのだ。ナチュラルな上から目線でアンチを煽って溜飲を下げ、アンチは自分より下の奴らだから気にすんな自分(≒マウント)、と言い聞かせてる感じがある。「顔真っ赤www」の丁寧版みたいな感じ。もちろんこのくらいやらないと気が収まらないだろうし、芸能人も大変なんだろうなとは思うけど、アンチには完全無視が一番効くんですよね。それにしてももっといい言い回しがあるのにな、松丸君はまだ若いな、という印象だった。(私は松丸くんのアンチではないです)

掲示板で荒らしや誹謗中傷が発生した場合、「ネチケット(ネット+エチケット)」という言葉がまだかろうじて生きていた時代には、掲示板内で自浄作用が働いていたような気がする。「荒らしに「寂しいのか?」と声を掛けたらピタッと荒らしが止んだ」という逸話もあるが、令和にはもう存在しないのかもしれない。



見た展示

もじ イメージ Graphic 展@21 disign site

戦後~近代のタイポグラフィ(ブックデザイン、ポスターデザインなどの紙もののグラフィックデザインがメイン)が一堂に介した展示。
アニメや漫画など現代のポップカルチャーなどのコーナーでヒプノシスマイクが紹介されていた。ヒプマイのグラフィティかっこいいしCDや書籍ジャケのタイポグラフィかっこいいよな~~…(元ジャンル者)その隣に川谷康久さんの手掛けた装丁の本たちが並ぶ。ドッヂ弾子があって「いいぞ!」と思った。
葛飾出身さんの映像も流れていた。葛飾出身さんは「作字百景」で知って、それから追いかけている作家さんだ。というか、「作字百景」や「作字作法」で見たアーティストの展示がめちゃくちゃあって、すごく感動していた。最後は完成したばかりの手書き看板。ペンキでこれを…書いた…?とは思えないほど精密な仕上がり。こういうの自分でも作ってみたい~。

読んだ本

水木しげる『総員玉砕せよ!』

数年ぶりに再読。主要の登場人物はゲゲゲの鬼太郎の登場人物のようにデフォルメされているが、背景のジャングルや艦隊、日本兵の死体はすべて劇画調で書かれている。「描いていると行き場のない怒りが湧いてくる」と水木さんは語っていたけど、本当にその通りだ。

最果タヒ『恋できみが死なない理由 』

詩集だと思って手に取ったらエッセイだった。相変わらずわかるようなわからないようなエッセイを書く人だと思った。「よくわからない」の部分にポエジーが存在し、その輪郭を脳の中で追っている瞬間にきっと面白さがあるのだろうが、今の私にはその余裕がなかった。永遠のティーンの雰囲気をまとっているが、大人としての落ち着きを持っている。『死んでしまう系のぼくらに』をまた読みたい。



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