狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

最近の愚痴[2024/4/22(火)]

今回は政治などの話なので、見たくない方は見ないでください。


最近は政治に対してものすごく腹が立っている。具体的に言うと、共同親権が爆速で可決されたことに「は?」となっている。離婚後の養育費の不払いが平気でまかり通り、法的な強制徴収制度も実質機能していないこの国で、共同親権?選択的夫婦別姓同性婚も頑なに認めない自民党のおじいさんたちが、名前だけでも父親面したい男のために認める共同親権とはいったい…DVや虐待があっても親権があるって、恐怖でしかなくないか。

そもそもバイアグラ爆速か承認されたのに対し、ピルの承認が40年かかったこの国で、緊急避妊薬もドラッグストアで買えないこの国で、ジェンダーギャップ指数144か国中114 位のこの国で、子供の遺棄の多くの事例で女性だけが有罪になるこの国で、女性の体の自己決定が持てないこの国で、子供を産むなんて、もはやギャンブルだろ。
性犯罪に対する認識も罰則も甘いし、平気で何回も再犯しては子供や女性が犠牲になるし、もう最悪だよ。また男の勝ち逃げ。いただき女子が懲役9年に対して四谷大塚事件は懲役2年執行猶予5年って意味不明すぎる。頂き女子の刑を軽くしろって言ってるんじゃなくて、性犯罪の刑を重くしろって言ってんの。複数の子供の未来と心の安寧を奪っておいてそれだけ? さすが父親が実娘をレイプしても捕まらない国ですな。犯罪ですら男に甘いとか終わってる。頂き女子に関しては、騙す方が100悪いんだけど50のおっさんが25の女の子が本気で相手してもらえてるって勘違いしてるのがマジで怖い。


そもそも論の話をすると、奥さんのキャリアを犠牲にして子を育てたおじいさんたちが法律を作って若い世代に「産め産め」と呼びかけるの、かなりおかしな構造ではないか? いかに若い女に子供を産ませるかを考えて、女性のリプロダクティブ・ヘルスライツは無視ですか? もちろん産みたい人が産める社会にはなってはほしいけど。おっさんどもは、自分のキャリアが奥さんのキャリアの犠牲のもとで成り立っていることを自覚してくれ。頂き議員、お前たちのことだよ。

若林理央『母にはなれないかもしれない―― 産まない女のシスターフッド』を読んで思ったけど、改めて産みたくないなと思った。これは様々な世代の「産まない・産めない・産みたくない」を集めた本で、産まない理由やその人の生き方が記されている。
生まれてから一度も子供を産みたいと思ったことがない。小学生の時、空き教室に女の子だけが集められて「女の子には生理があります。女の人はいつか子供を産みますから、自分の体をたいせつにしなければなりません」と先生に言われて(わたしは絶対に産まないのに、先生はなんでそんなこと言うんだろう。変なの)と思っていた。そう考えるほどに「いつか産むかも」「産みたくなるかも」とは思わなかった。

私は積極的に「産みたくない」とは公言していない。言うと「なんで?(責めるニュアンスで)」「まだ若いからそう思うだけで、いずれ結婚すればほしくなる」「少子化なのに」「無責任だ」と言われた経験が何回もあるからだ。自分とは違う意見を面と向かって言われると「私を否定された!」と勘違いして攻撃してくる人が人が多いので(結婚出産に関しては特に)リスク回避のために言わないだけ。でも本書に登場する女性たちは、比較的周りに「産みたくない」と言っていて強いなと思う。

子供を持たないことは無責任ではない。考えなしに産むより、ずっと子供と社会の幸福を考えている。税金だってちゃんと決められた額を払っている。子供を持つことで助成や税金の控除を受けられる。独身や子無しはその恩恵を受けられないので、実質独身税は払っているし、税金を通して社会参画している。それより「産めばかわいいよ」とか「女は子供を産んで一人前だよ」無理やり産むように勧告してくる人の方がよっぽど無責任じゃないか。


自分が産みたくない理由は「産みたいと思ったことがないし、育てたいとも思わないから」に尽きる。「セパタクローたのしいよ!あんたもやんなよ!マイボールはかわいいよ!」と見ず知らずの人に言われても「うーん…わたしはいいかな」となるのと同じ。(セパタクロー:東南アジア発祥の籐製のボールを蹴るスポーツ。ルールはバレーボールと似ていて、陣地に球を落とすと負け。セパタクローは例で、セパタクローをけなす意はないです)
本物のセパタクローはちょっとおためしすることはできても、出産という名のセパタクローは途中退場ができない。子供が成人し続けるまでひたすらボールを蹴って、陣地に落とさないように夫と協力して必死にプレイしなければならない。18年続く罰ゲームなんて、そんなの無理。途中、学校や地域のアシストが入っても、結局は自分の責任でプレイし続けなけらばならない。
そんな苦労が目に見えているので、自分はやらない。お金も時間も労力も、自分から何も奪われたくない。

逆に不思議なんだけど、子供が欲しい人って何で欲しいんだろう。ずっと謎。パートナーがいて「この人との間に子供が欲しい!」って気持ちはなんとなく想像がつくけど、パートナーいない状態でも「子供が欲しい」と言う人が結構いて、純粋にすごいな…と思う。なんでそう思えるんだろう。
男性で「子供が欲しい」と平気な顔をして言う人に腹が立つ。妊娠中は精神的・身体的な負担がかかるだけでなく、年単位でキャリアの断絶を抱える人も少なくない。職場に戻っても「マミートラック」に入れられ、今までとは同じ働き方はできない。子育てに追われ、子供中心の生活に変わる(これは男もだけど)。男性はそこまで創造「身体・精神・金銭的なケアを全力するので、お願いだから私の子を産んでもらえませんか」くらいのは言わなきゃだめだと思うよ。しょせん他人事だからそんなに軽々しく言えるんだよ。


韓国は非産非婚や脱コルセットなど色んなフェミニズム運動を経て(運動だけの結果ではないだろうが)出生率が0.72まで来てるのですごいなと思う。日本で恋愛結婚妊娠出産が幸せだと未だに信じられていて、声を上げる女性の声は相変わらず無視され、攻撃されている。「女の幸せ」とは女性を所有物として扱うためのプロパガンダ的なおっさんの作り話にすぎないし、まだその夢から覚めてない人が沢山いる。いやもちろん結婚したい人はすればいいが、どこまでが自分の意思で、どこまでが戦意高揚にあてられたものなんだろう。そんなはずはない、と反論する人もいるだろうが、そういう人ほど「世間体」を気にしているから笑える。やっぱり家父長制が諸悪の根源じゃん。

子供を持たないことに、親に申し訳ないとも思ったことがない。むしろ「親不孝もの」として、親や親族への仕返しになるならラッキーです。