狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

退職に際して[2023/6/30(金)]

新卒の頃からいつか辞めるだろう、と思っていた。そのいつかはわからず、けれどそう遠くない未来であることはわかっていた。
実際に転職活動をしてみると、自分がいかに恵まれた環境で働いているかがわかった。しかし、そこで職場にとどまる選択はしなかった。転職を決めた理由は複数あるけれど、いちばんの理由はやっぱり、このままじゃだめかもしれないという不安かもしれない。
一応大企業と呼ばれる会社にいたし、このまま続けてれば、確実に食べていくことができる。しかし、仕事をすればするほど自分には向いていないなと思ったし、いろいろやらかまくったおかげで昇進も見込めない(そもそもこの会社で責任ある地位につきたくないというのもあった)。専門性が高まる一方ますますつぶしは効かなくなるし、身に着けた専門性だって正直プロ中のプロから見れば大したことはない。
とはいえ、転職してでも特にやりたいことはなかった。あるとすればテレワークぐらいか。同時に、職場に対して「どうしても我慢できない!」という不満もなかったので、辞めるだろうなという気持ちのまま数年経過した。

数年かけて色々考えた結果、「私はこれができる」という確固たる技術が欲しいのだと思った。自分の軸になるものが欲しかった。だから、出版業界や編集者の道を志した。締め切りに追われる日々で業務量も多く、大変であることはわかっていたが、きっと今チャレンジしないと一生できないことだろうなと思った。年齢的にも、体力的にも。緩み切った精神に喝を入れたい気持ちもあった。
一方で、兼業でやっていく選択ももちろんあった。しかし、兼業でやっていくほどの筆力も、コンテンツ力もない。

正直に言うと、2022年は色々あったので、現状からとりあえず逃げたいという部分も少なからずあったと思う。数年前から仕掛けていた条件付きのタイマーが、2022年の出来事によって作動したという感覚に近い。




数年間働いて分かったことは、仕事は色んな人に声をかけると大抵なんとかなるということと、40代以上の人間のコミュニケーションの基本ははったりと冗談で構成されるということだった。
仕事において、自分ひとりで出来ることはほとんどない。とにかく誰かに連絡をとってお願いをしないと始まらないことが多かった。というか、自分はみんなに頑張ってもらうために頑張るくらいしかできない。丸投げするという意味ではなく、役割的な意味で、他人に振る。自分で抱えていても仕事が止まるだけなので、とにかく人に相談するのが大事。

大学生までは、大人との関わりと言えば家族、学校の先生、バイト先の店長くらいしかなかった。しかし、会社に入ってからは関わる人がほぼ全員年上になる。特に40代以上の人とコミュニケーションをとる時に厄介だったのが「ジョーク、冗談」である。1に冗談、2に冗談、3にネタばらし、4に冗談というかんじで、会話のほとんどが冗談で構成されている。とりあえず笑いを取り、愛嬌を出すのがコミュニケーションの上で最重要課題とみなしているようだった。これは社風なのか、世の中で一般的な兆候なのかわからないが本当にこんな感だった。
そして冗談は受ける側の技量が試される。真に受けて真面目なリアクションをしても相手はずっこけるし、しらけたりする。冗談の受け答えが本当に難しくて苦戦した。30代くらいまでだと、冗談を言う人はそこまで多くないので楽なのだけれど、全体のストリームとしてはやっぱり冗談をいう軽やかさがコミュニケーションの軸になっている気がした。




最終出社日、全員に個別に挨拶しに行った。正直ものすごく憂鬱だった。自分は仕事が出来る方では決してなかったし、付き合いがいい方でもなかった。迷惑ばかりかけていたので、どちらかと言うと嫌われている方だと思っていた。だからそんな奴が挨拶しに来たところで…という感じで、ものすごく憂鬱だった。皆の前で挨拶だけして「みなさんでどうぞ」という感じでお菓子を置いてくような感じが良かったがそんなのは無理で(そもそもお菓子を置いておく文化は無く、ひとりひとり手渡しが基本)まぁ社会人としてやるときはやらねばならんなということで、腹をくくったのであった。村上春樹「遠い太鼓」では「次の場所に行く前に、橋を落とし損ねるなよ」と書かれていたので、きっちり終わらせて、区切りをつけることは大事なんだと思ったし。

実際、あいさつ回りをしていると、叱責する人なんて全然いなくて、これから新しい環境で頑張ってね、体に気をつけてねとやさしい言葉をかけてくれる人ばかりだった。普段こんなふうに「頑張って、ありがとうね」と勇気づける言葉を大量に貰うことがないので普通に感動した。それも社交辞令の一部と言ってしまえばそれまでなのだけれど、自分は本当に人に恵まれたと思っている。今まで「僕はここにいていいのかな」と自分の殻に閉じこもる碇シンジ君になっていたが、いよいよ最終日に、「僕はここにいたいのかもしれない」「僕はここにいていいんだ!」とという最終話のシンジ君になってしまいそうになった。これは優しい言葉を掛けられたカウンター的な感情でもあるのだけれど。



今まで人に恵まれていた反面、これから真の社会の荒波にもまれるのかと思うと普通に気が憂鬱。もうほんとうにいい人に囲まれていたので…とはいえ、これからかかわる人たちも業界的にはそんなに変わらないのでそんなに心配はいらないのかもしれない。

この選択が正解だったのかわからない。仕事が絶望的に合わなくて路頭に迷う可能性もあるのだし。でもまぁ基本的に人生は何が起こるかわからないし、自分はラッキーガールだと思っているので、何とかなると思っている。そういう楽観的な視点は大事。
月曜からはスーツを着て都心に向かう満員電車に乗る。今までよりもサラリーマン然としたサラリーマン生活になりそう。これが一番ネックであり、ストレス源にもなりうるのだけれど、逆に言うと今の段階ではそれ以外のストレス源を予見できない。

とりあえず、やっていくしかない。