狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。字書きが高じて今の肩書は記者です。

断罪と贖罪の外側/映画「聲の形」感想


聲の形を見ました。すごく良かったです。
実は公開当時から気になってはいたんですが、いじめ描写があるのと、いじめっ子といじめられっ子が高校生になって再開し、仲良くなるらしい? という前情報を聞いて敬遠していました。自分の中で「いじめっ子といじめられっ子が仲良くなる」なんて、たとえフィクションであっても幻想だと思っていたからです。でも、そんなことはありませんでした。ろう者の元いじめられっ子・西宮硝子、そしていじめっ子→いじめられっ子の石田将也は対話をあきらめませんでした。たとえ独りよがりでも、相手を知りたい、自分を知ってほしいと思う気持ちをあきらめなかったのは本当にすごいと思います。

この映画で感じたことは、断罪と贖罪の意志決定は当人たちの外側によって決められるということです。特に、被害者の立場に立ちがちだった西宮の気持ちは「聞こえない、明瞭に発話出来ない」というハンデも相まって常に透明なものとして扱われていました。補聴器の件では母親が、病院での再開シーンでは妹の結弦が、高校で石田の過去の所業がバレたときは同級生たちが、石田を断罪し贖罪のチャンスを奪おうとしました。すべてろう者の西宮を思ってされたことです。しかしそれを西宮が望んでいたでしょうか? 話の中心にいるはずの西宮は、台風の目のように透明で厄介ごとを生み出す存在でした。
その透明なものの輪郭を知るための手段が、石田のちょっかいだったのかなと思います。水信玄餅にきなこをかけるとその輪郭が良く分かるように、西宮に砂をかければ彼女の輪郭が見えるのではないか? と無意識レべルで思っていたのではないでしょうか。物語ラストで「西宮と話がしたかった」と言っていましたし。
もちろん、小学校の時に西宮と石田がコミュニケーションをとる手段やチャンスはありました。筆談です。「ごめんなさい」という便利な言葉で、クラスメイトの気持ちを結果的にシャットアウトしていたのかなと思います。しかしそれは子供にとって無理のないことです。西宮も「自分が謝ればすべて丸く収まるわけではない」と薄々わかっていたでしょうが、「ごめんなさい」の5文字でとりあえずその場を収めたかったのかもしれません。西宮と石田と取っ組み合いをした時、そこには確かに相手を分かりたい、分かろうとする気持ちが二人にはあるように思いました。しかし、幼かったゆえにいろんなものが足りず、結局分かり合えることはできませんでした。

病院での再開後、過去を詫びた石田が西宮に誠実に接していくことで、ふたりから発生した輪がどんどん広がっていきます。それは喜ばしいことでもありますが、過去の古傷をほじくり返すきっかけにもなりました。西宮に楽しい思い出がどんどんできる一方で、「私がいなければ石田くんの、みんなの不幸はなかったのに」というつらい気持ちになることも増えました。その結果、花火大会の夜、自宅のベランダから飛び降りようとします。石田によって奇跡的に助けられますが、西宮は腕を負傷、石田は意識不明の状態になってしまいました。西宮が感情を吐露するシーン、謝罪するシーンの悲痛さといったらありませんでした。彼女がここまで感情を外側へだすことは初めてだったのではないかと思います。このシーンの西宮硝子役の声優・早見沙織さんの演技がすばらしかったです。
目覚めた石田は西宮に「生きるのを手伝ってほしい」とお願いします。足りない部分を補い合うことで、文字通り支え合うのだなと思いました。そしてきっと二人は苦労はありながらも幸せに暮らしていくんだろうなと思いました。何故なら幸せとは分かち合うことだからです。
ラストで石田視点でついていた人の顔のバッテンマークは剥がれました。ここに疑問を持つ人もいるみたいなのですが、私は「ちょっとの勇気で世界は変わる派」なので、この演出はとても好きです。


他のキャラについて言及すると、高校生になった植野さんの態度が、まさにリアルで存在してる嫌な奴のそれだったので冷や汗をかくくらいにゾワッとしました。自分が欲しい返答を貰えないと「ダサい」「キモい」「ウザい」と高校生らしい安い言葉で罵倒、相手に責任転嫁する姿がなんとも言えませんでした。特に、商店街で石田・西宮ばったり会った時の一触即発感といったらなかったです。しかし植野さんは石田とのコミュニケーションをあきらめませんでした。西宮とのコミュニケーションもあきらめませんでした。「自分が嫌いなんてありふたことを自分だけみたいに言うな」「あの時の感情は間違ってたと思わない」「嫌い同士でも平和にやれると思う」確かに言い方はきついしどうかなと思うけど、彼女には彼女の考えがありその心情を無視せずに立ち向かっていました。反応は幼いですが、ある意味、誰よりも大人だったと思います。何より目線が彼女の心情を如実に表していて、私は内心「なおちゃん…!」と思っていましたが、現実の世界で植野さんみたいなひとから植野さんの口調で植野さんの言葉を発せられたら言葉通りにしか受け止められないだろうなと思いました。強い言葉による婉曲的な表現が苦手だからです。石田も西宮も多分、私と似たような感覚ではなかったのではないでしょうか。

川井さんも自分かわいさで動いているし、仕切りたがりの上から目線だし、色々ズルいな~…と思う場面も多くあるのですが「みんなのために」という根っこの部分は嘘じゃないんだろうなと思いました。その「みんな」には「わたし」も入っていていて、その「わたし」を大切にするために「みんな」も大切にしていたのではないでしょうか。個人的に真柴くんとのコンビがうさん臭さにあふれていて好きでした。というか、真柴くんの人間味のないビジュアルが本当にツボです。

そして、なんといってもこの物語のヒーローでありヒロインは実は結弦なのではないでしょうか。幼い頃から姉を守り、姉を支え、姉に死んでほしくない一心でカメラを構えました。石田と仲良くなるにつれはしゃいだり、泣いたり、笑ったり、制服姿を「どうでい、どうでい」と自慢したり、こんなの年下ヒロインじゃないですか。めちゃくちゃかわいかったです。かわいいと言えば物語中盤の「ゆじゅぅ~」と結弦に沢山話しかけるお姉ちゃんがめちゃくちゃかわいかったです。

ディティールの話をすると、京都アニメーションの作品は光の表現とレンズの効果の演出が本当に良くて、温かみがあって美しいなと思いました。電車のシートや案内表示、商店街の様子が完全に西日本のそれで、妙にノスタルジックさ感じてしましました。原作漫画も少しずつ読み進めていきます。久しぶりにいい作品に出合ったな!という気持ちでほくほくしています。