狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

はやく人間になりたい[2023/2/21(火)]

5月の文学フリマ東京に申し込みました。どうやら次回の文フリはサークル参加者が多く、出店が確約されるのは先着1200spまでのようで、私はそれに間に合わっていないため、もしかしらたら落選するかもしれません。このブログのまとめ日記本を作りたいなとアレコレ考えている所です。冷静に考えるとあと3か月程度しかないので、そろそろ作り始めようかなという次第です。

出ようと思ったきっかけは、文フリで仲良くなった人に「あなたは本出されてないんですか?」と何回か言われたからです。そのたびに「出たいんですけど、なかなか…」みたいに答えていたんですが、そんな自分に対して「出たいなら出ればいいのでは?」と思ったので出ることにしました。

ずっとオリジナルで本を作ってみたい気持ちがありましたが、何者でもないことが証明されてしまいそうで、怖かったのです。私は何者かになりたいという欲求だけは一人前のくせに、大して何もしていませんでした。ちょこちょこ小説を書き、短歌を詠み、漫画を書いたけれど、外に出すことをしませんでした。井の中の蛙でいた方が幸せだと思ったからです。また未完のものも多く、情けないなぁと思っていました。ずっとこのままなのか? 嫌だ!!! ということでイベントに申し込みました。イベントに申し込めばとりあえず本が出るからです。とにかくオリジナルの本を1冊完成させてしまえば「何もしていない」という焦燥感からは少しは逃れられるはずなので、やってみようと思います。

そういえば、何物にもなれないまま終わる恐怖というものを大学生くらいからずっと抱えていて、そんな感じで生きてきて10年くらい経つのですが、この10年何か成長したでしょうか。とりあえず、下手なりにも文章をかけるようになり、二次創作ではありますが本も何冊か作ったので、そこは成長したかなと思います。ということで、これからも頑張るぞ。

読んだ本

僕のマリ「常識のない喫茶店

筆者が勤める個人経営の喫茶店での風景。好きな客には贔屓するし、嫌いな客は塩対応。厄介客は迷わず出禁にするし、あだ名もつける。お客様は神様ではない店で筆者が働く風景に憧れと共感を覚えたが、それはちょっとやりすぎじゃないの? と思うことも多くあり、大手を振っては推せない本。とにかく、自分がこの店行くのには勇気がいる。変なあだ名つけられそうだし…
とはいえ、ほっこりするエピソードも多く登場し(伝説の喫茶店に行ったら店主が自分の店の常連だった、とか)、接客業の悲喜こもごもが描かれていた。いろんな客が登場する中、「若い女性というだけで舐められる大変さ」が折に触れて書かれていた。中年男性からセクハラまがいのことを言われたりするのキショいよねわかる。「他人に対してこんな振る舞いをするなんて、銃社会だったら死んでるだろうな」と思うような客もいる。そういう人に対して毅然と対応するのがすごい(もちろんスカッとジャパン的な展開ではないので安心してほしい)。
作中に登場する喫茶店は関西にあるのかな。中部以西は喫茶店文化が色濃く残ってるからこれらの話も納得できる。

大今良時聲の形

映画を見てから漫画を全巻読みました。ものすごくよかったです。映画版よりキャラの感情が深く描かれていて(逆に映画も限られた時間で情報をうまく取捨選択したと思う)「感情!」となりました。植野は思ったより石田のこと大好きで吠えて噛みつくことでしか愛情を表現できない子だったし、川井は輪をかけて嫌な奴だったし(西宮に顔の見えない位置で抱き着きながら励ますところゾッとした)、真柴くんはかなりやべぇやつだったし、永塚くんは理解ある友達ムーブしときながら「障碍者だから(映画を撮るチームに)入れてあげてるんでしょ」とか言い出す凡人だった。誰一人完璧な人間などいなかった。でもそれが現実なわけじゃないですか。そういう「知ってはいるけど意識しにくい現実の要素」をフィクションに落とし込む技が本当に上手いなと思った。
石田が入院した後、西宮の「こうだったらいいのに」の想像の世界でもキャラの声は不明瞭に描かれている。それは西宮が生まれつきの難聴で、健常者と同じように音を聞いたことがないからなんだ…と思うとますますうるっときた。
大今先生、とにかく漫画が上手い。構図も視線誘導も心理描写もうまい。絵が上手い。上手すぎる…不滅のあなたへも読みます。



最近、帰りに図書館に寄って文芸雑誌の2ページくらいの連載やエッセイを読むのにハマっています。なんとなく図書館の雑誌コーナーってエントランス近くにあることもあってソワソワしてじっくり読めないんですが、これくらいの分量なら読める。

人生をがんばるぞ。