狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

なめんなよ今から本気出す[2024/2/16(金)]

「素敵」という表現は素敵ではない

女性同士の会話でよく耳にする「素敵」という言葉だが、最近これがものすごく気になる。上品なニュアンスがあって耳障りのいい言葉だし、汎用性が高い。そして「憧れ」に似た成分も混入しており、「上から目線になりにくい」という効果もある気がする。だから多用する人が多いんだろうけど、便利な言葉だからこそ「あ、こいつなんも考えないで言ってるな」というパターンも多くて嫌い。「考えさせられる」や「エモい」並みに何も言ってない言葉な気がする。「素敵」って言っておけば相手が喜ぶだろうみたいな魂胆が嫌いだし、穿ちすぎだが、「素敵って言葉を使ってる私が素敵」みたいなニュアンスすら感じるときもある。


ちなみに素敵の辞書的な意味です(出典:デジタル大辞泉小学館))

す‐てき【素敵/素的】
1 自分の気持ちに合っていて、心を引かれるさま。非常にすぐれているさま。「—な服装」
2 程度がはなはだしいさま。


特にインターネットにいる女性(特に2000年~2010年代を生きた人びと)には、変に丁寧ぶるのが美徳みたいな文化みたいなところがある気がする。その層が特に「素敵」を使いがちで、特に他人の家のエピソードに対して「素敵なお母さま(orお父さま)ですね!」みたいなのを見た日には「うわーーーーやめてくれよ」と思う。他人の家の父母に対して尊敬語である「お父さま、お母さま」を使うのは適切であると頭ではわかっている。わかっているけれども、話の内容のフランク度合いからして「お父さま、お母さま」は違うだろう、と思う。つまり、「より丁寧に、大仰に表現することで自分の位を上げようとする」姿が嫌いなんだと思う。さらに言うと時と場所をから適切な言葉を探そうとする手間を省いて「素敵」で雑にほめようとする魂胆が嫌いなんだと思う。

ですが、この論を展開していてふと気づいたのが、「話者はたぶんそこまで考えて発言してないよ」ということです。「そのニット素敵だね」と言った人は「良いと思ったら相手に伝えよう」と軽い気持ちで「素敵」と言っただけな気がします。つまり、彼・彼女らが使う「素敵」=「他社への思いやりの具現化」の可能性が高いです。私の言葉にこだわり続けている行為こそが、「他人を慮る」という点においては敗北しているのです。

さて気づきましたか? 私がこのブログで「素敵」という表現を一度も使ったことがないことを…(検索で出てくるのは本の引用文中に出てくる「素敵」だけです)。
ちなみに今まで貰った感想で一番嫌だったのは「素敵でした!」です。「よかったです」のほうがまだいい。同人女が知り合いが発行した同人誌を「御本(なぜか御が漢字)」と呼ぶのも嫌い。


日記

今日はライムスターのライブなので朝の通勤電車でMVをウキウキウォッチング。それなりに暖かい日でよかった。会社でその日やることを終え、急いで取材へ。そんなに難しい案件でもなく、スムーズに終了した。仕事を終えると開演まで1時間を切っており、急いで武道館へ向かう。このチケットをとったのは転職したての夏頃で、「半年後のライブ仕事続いてるかな…」とひそかに心配していた。まさか単独で取材行った帰りにライブに行くことになると思ってなかったので、人生…と思った。
入場時にポキッと折るタイプのペンライトが手渡され、同封されたチラシに「アンコールの際、サプライズで点灯しましょう!曲が始まったら点灯してください」と書かれていた。通路から、スモークのもやがかった会場内を見ると心が躍る。今日は仕事から直接来たのでスーツ姿だった。同じような人が結構いるような予感がしていたが、周りを見渡してもスーツの人はおらず、案外会社帰りに来てる人も着替えてから来てるのかもしれない…と思った。
予定の18時スタートから、15分押しての開演。レーザーが多用された派手な照明(クラブみたい)に驚き、「そうだこれヒップホップのライブだった」と急に現実味が増してくる。昨年発売のニューアルバム『Open The Window』のタイトルを体言したような、窓枠を模したセットをバックにOpen The Windowが流れ、そのまま「After 6」。アトロクリスナーとしては、毎日聞いているサウンドを武道館で聞けるのが嬉しい。「My Runway」、「予定は未定で。」が終わるといきなり岡村靖幸さんが登場し、子芝居を挟んだのち、「マグカフィン」。こんなに早く登場する!?心の準備が出来てないよ~~岡村靖幸さんがひたすらかっこいい(オタク女的にはマグカフィンで一本推しカプの話を書きたいなぁと思ってしまう)。
季節の三種盛りで「世界レベルでダサいと評判のジャケット・マニフェスト」がサイネージに並べられた瞬間はちょっと笑いそうになった。ジャズィ・カンヴァセイションのReiちゃんとSOIL&"PIMP"SESSIONSのセッションがかっこよすぎる。一番よかったのはhy4_4yhとの「なめんなよ1989」!!本当に感動した。私が辛いときに聞いていた曲でもあり、彼女たちにとっても大切な曲であり、いろんな感情が曲によって一気に解放され、涙が出てきた。鬼気迫るパフォーマンスってこういうことかとも思った。
そして戦争反対へのシュプレヒコール、そしてスチャダラパーとのForever Young!あっという間に2時間が過ぎた。

アンコールで3人が登場すると、会場の早漏野郎たちがペンライトを点灯。(あれ?曲が始まってからじゃないの?)と思いつつも、みんなが点灯しはじめたので自分も点灯した。すると「あれーなんだか青いねー」と宇多丸さんが気づく。ある観客が「サプライズ!」と言うと「あっ、サプライズ?みんなのぶん用意してくれた人がいたんだ。へぇーありがとね」と喜んでいた。こんな感じでよかったのか?(笑)アンコールはOnve Again、DJ JINの一本締めで終了。満ち足りた気持ちで武道館を後にする。

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ライブ終わりはラーメンと決まっているので、塩ラーメンを食べてから帰った。気持ちがいっぱいすぎて、なかなか腹に麺が入っていかない。残すわけにもいかないので何とか間食した。こんなことってあるんだと思った。そのくらい楽しいライブだった。
最近やることが多すぎて「あちらが立てばこちらが立たず」状態で、足踏み状態のあれこれがあるけれど、待ってろこれから本気出す!

読んだ本

能町みね子『『能町みね子のときめきデートスポット』、略して能スポ 』

西高島平、吉原、野田、武州長瀬など、通常はデートスポットに上がり得ない地を訪ね歩く本。まさに逆張り文学。連載媒体は「モーニング」だったらしく、タモリ倶楽部っぽい雰囲気で、高いテンションで書き綴られている。写真ではなくイラストで解説が入るのが面白い。

中野 信子・ジェーン スー『女に生まれてモヤってる!』

「女に生まれてモヤってる」ことをひたすら議論する対談形式の本。「設定された女をやり続けるのに困難を感じたことがある」と話すスーさんと中野さんの人生「バグ」報告書。いやほんとうにこれなんだよ。生きずらさはバグ。ながらく社会は男性のものであったところに、女性が参入するようになって、そこを男性ナイズのままで運用しているのがまずおかしい。だからこそ現代の「理想の女性像」は男性主位の社会によって作られた産物であり、現実問題、仕事も家庭も育児も両立できるスーパーウーマンなどいない、と言い切っていてよかったな。
男ヲタが「アイドルの写真集(水着あり)について、公然の場所でいかに性的に効能があるかを語る」のが本当に嫌いなんだけど中野さんが「男性がビキニ姿の女性を目にすると脳の思いやりを司る部分が働かなくなり、人間ではなくモノとして見はじめることが科学的に証明されている」と言っていて(まじかよ…)となってしまった。
仕事ができる女性は「あの人仕事はできるけど、結婚はしていない」と揶揄されるのに、男性は一切言われないのはおかしい。ノーベル賞を受賞したマリ・キュリー(キュリー夫人)ですら、研究内容ではなく「母として、妻としてどうだったのか」に焦点を当てる日本社会はおかしいと断罪していた。それは本当にその通り。無能な男性課長より有能な女性平社員がたくさんいるし、そういう光景を何度も見てきた。それでも地位も給料も無能男性課長の方が高い。下駄をはかせてもらってる分際で「女の方が楽」などと、二度と言わないでほしい。


観た映画

誰も知らない(2004年、是枝裕和監督)

育児放棄され、子供たち4人だけで暮らす家族の話。
はじめは母親と5人で暮らしていたが、やがて蒸発し、帰ってこなくなる。長男の明だけが外出の許可を出され、その他の3人は家から出られない状態が続く。当初は現金書留で送られてくる仕送りで生活で来ていたが、やがてそれも途絶える。
電気や水道が止まった段階で、3人は外の世界へ出る。これがこの映画のターニングポイントとなる。外出が制限されていた3人とそれを見守る主人公の明はとてもうれしそうにしている。4人にとってはユートピアだが、生活は困窮し食うにも困る状況であり、ディストピアの渦中にいる。廃棄のおにぎりなどをくれる若いコンビニ店員は「警察や福祉事務所に相談したら」と助言するが、「相談すれば4人バラバラになってしまう。前も(それで)大変な目にあった」と明は断る。ひとりひとりの健康や肉体的な安全より、4人の精神的な安全をとっわけだ。子供4人だけで暮らしていることを、周囲の人は知らない。でもそれが4人の安寧なのだった。

是枝監督はこういう家族もの描くのが本当にうまい!子供がつらい目に合っているのがつらくて、休憩を入れながらしか見れなかった。明がゲームセンターで友達を作ってきて、その友達たちに家に占領された末、疎遠にされる描写がかなりしんどかった。末っ子が事故死した後に母親から現金書留が届き「みんなのことよろしくネ たよりにしてるよ」とメモをみたときの絶望と言ったらなかった。この母親は本気で子供だけで生活できていると思っているのか…。末っ子の遺体をスーツケースに入れながら「大きくなったんだね」と言っているのが本当につらかった。

ジョーカー(2019年、アメリカ、トッド・フィリップス監督)

お馴染みのサイコスリラー映画。感想は「福祉の力でどうにか普通の人間らしい生活をできたいた人が、福祉の支援が打ち切られた結果、薬で抑え込んでいた精神疾患による症状を露呈し、最悪の事態に至らしめた例であり、予見可能性は十分にあった」でした。だからこそリアリティがあって面白かった。社会福祉の重要性がよくわかる…。
みんなの笑いものにされているシーンはとにかく見ていてつらい。彼自身ケアされるべき人間なのに、母親のケアを一人で行っているシーンもつらい。同僚が「護身のために」と銃を渡した銃がいろんなトラブルを引き起こすのが寓話的だった。


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アナログの観劇・映画鑑賞ノートを全然つけられていないので、週末まとめて書きます。アナログ・デジタルの隙を生じぬ二段構え。