狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

アラウンド・ミー=自分

低気圧と花粉がひどい週末だった。しかしその割には善戦したんじゃないかと思う。ノルマクリアできなくとも半分はこなしたり、普段はできない作業をやったりした。もうやりたくね~になったら諦めてすぐ本を読んだ。そのおかげで今週末は結構読書ができたのでよかった。しかし、進んだ作業に対するコストがかかりすぎていて(家じゃ集中できなくてあちこちのカフェでやった)若干財布が寂しい。誕生月だからといって贅沢しすぎたな。

どうにも最近、肌の調子がいいぞ?!と思っていたが、花粉がひどくなるにつれて肌荒れも進行している…テンションが下がる。

こんなに順調で大丈夫か?/徒歩圏の聖地巡礼 - 狂気の沙汰も萌え次第
3月は死ぬほど順調みたいだったらしいけど、今は全然大丈夫じゃないですね…


劇団四季のミュージカル「アラジン」を見た。

開演前に見た香盤表の一番上が「ジーニー」になっていてなんで?と思ったが、納得。ジーニーの存在が全体の半分近くウエイトを占めている。そしてジーニーのナンバーが最高にかっこよく、お茶目。Friend Like Meはずっと魔法を見ているような気分だった。声色も演技もコロコロ変わるし、客もきっちり弄って笑いを取るし、歌もダンスもすごい。
オペラ座の怪人やキャッツも見たい…どちらもいま東京ではやってないので、旅行がてら是非行きたい。




月曜の日記

祝日。連休最終日はだらけがちだから、朝一の回の映画に行こうと計画していたが、前日の夜、考え事をして眠れなくなってしまったせいで寝坊。結局見に行けなかった。そこからすぐ行動すればいいものの、YouTubeなどをみてあっという間に昼になってしまう。貴重なAMの脳味噌を動画に使うなんて…とこの時点で落ち込みかけたが午後挽回することを誓う。電車に乗って喫茶店で作業。地元でやろうにもどこも混んでて気乗りしなかった。ノルマの半分こなしたところで集中力が切れ、外に出た。色々あって気持ちが落ち着かなかった。
腹が満たされれば気持ちも落ち着くだろうと思って、ゲームさんぽを見てからずっと食べたかった一蘭を食べる。そういえば一蘭には高菜がない(高菜、食べてしまったんですか?をやりたかった)。そして胃もたれした…こってりはもうキツい歳なんですか!? 一蘭って高いし、味も「超最高!」ってほどでもないけど、あのアトラクション性と無難な味に惹かれてたまに行ってしまうんだよな。味で言うと前住んでたところにあった長浜ラーメンが最高に美味しかったな…
帰宅後、シャワーを浴びてそのまま寝てしまった。今週末は出かけるタイミングが多かったせいで、ここに書いた以外にも見知らぬ他人の言葉や行動に動揺することが多かった。なんか、現実は小説より奇なりっていうか…そんなことある!?って場面に沢山遭遇した。本当に疲れた…疲れたから山に行きたいな…と思い、前回登山したのいつだっけ?と写真フォルダを振り返ると、なんと!先週末だった…今週の濃度が高かったせいか遠い過去の話のように思える。
夜に30分ほどジョギングをする。緑が多いところを選んで走った。途中、いきなり生ぬるい風が吹いて、木がいきなりざわざわしはじめる。いつもは気にしないのに、色々あった後だから怖くなりそそくさと帰った。



読んだ本

上田啓太「人は2000連休を与えられるとどうなるのか?」

最初は「2000連休いいなー」と気楽な気持ちで読んでいたが、1000日目あたりから全然笑えなくなる。最後は哲学者じみた思考記録が続く。記憶の墓を暴くと躁と鬱を繰り返して不安定な状態になるんだな。記憶はある程度忘れられるから人生が上手くいく部分があるのかもしれない。
他者や外部とのかかわりが無くなると自分の形を認識するのが難しいのは、自分という存在が「他人の存在」で縁取られているからなのかもしれない。人間は自分の話をするとき「××で働いていて、○○の配偶者で、△△というアーティストが好きで」と自分の説明をするために他人を使う。その自分を縁取るものが無ければ自分の形を認識しにくくなるのもわかる。自分が自分であることに現実感が無く、自分の濃度が薄まっていく。引きこもり生活において、自分に割ける時間が長けくなれば長くなるほど自分が分からなくなる、というのは、人間が社会的動物であることの証左なのかもしれない。現実は幻想のフィルターを通して見ている。読後感は岩泉舞のふろんを読んだ時とどこか似ていた。
それにしても、筆者は2000連休中も文筆業で最低限の生活費を得ているし、図書館にも行くし、散歩もするし、スタバもたまにいく。なんか結構理想的な生活かもしれない。

木下龍也「オールアラウンドユー」

「きみを嫌いな奴はクズだよ」から6年、待望の第三歌集。布張りに箔押しの装丁が美しい。こういう上製本を作ってみたくなる。
物事を見つめる独特な視線はそのままに、温かみやSFっぽさが増強されている感じ。無人販売所に置かれたメモ的な温かさがある。書き手は孤独で、読み手も孤独。でもさみしくはない。そんな感じ。

詩の神に所在を問えばねむそうに答えるAll around you
ひっぱってくれるタイプの犬だったときおりぼくにふりむきながら
もうすこしねむっててくれ目覚めたらきみを泣かせることばかりある
詩はすべて「さみしい」という4文字のバリエーションにすぎない、けれど

吾妻ひでお失踪日記」「アル中病棟」

絵がうまい。漫画の仕事が嫌になって飛び出してホームレス→ある日スカウトされて配管工→また漫画を描き始める作者。生命力が高い…復帰したら週刊連載、隔週連載、月刊連載、読み切りを抱える生活。生命力が高すぎる…アル中の治療は「アセトアルデヒドを阻害する薬」を飲んで強制的に下戸にしたうえで生活や認識の改善をしていくのを初めて知った。終始コメディタッチで描かれるので重くならず読める。酒って、現実から逃れるための手段であって目的じゃないから、アルコールのない現実(ストレス)と向き合う仕組みづくりとか、心の空洞をどうやって埋めるのかを考えないといけない。

カツセマサヒコ「明け方の若者たち」

「夜行秘密」がめちゃめちゃ苦手だったので、人気のこれならいけるか?と思い読んでみた。が、全然合わない。どこにでもある話をカメラアプリでフィルター加工して、「エモい」ってセルフ美化してるような話。やっぱりカツセマサヒコは合わない。レビューをみたらやっぱり「エモい」の連発レビューばかりで(なるほど…)となる。今の若者にウケるには何より共感であるという言葉を思い出す。それにしてもこれほど合わない作家もめずらしい。個人的に、キリンジが舞台装置として使われた時点で読むのをやめようと思った。

暗渠パラダイス!

単なる暗渠の紹介だけでなく、地域の風俗や文化も絡めて紹介されていてよかった。というか、地域の文化が暗渠を暗渠たらしめているわけで。人間の生活は水と密着しているから、離れては生きていけないんだろうな。競馬場の話が食い込んできたところが面白かった。

筒井漫画瀆本

筒井短編作品のコミカライズ・アンソロジー。「傷ついたのは誰の心」が蛭子能収によって漫画化されていて感動した。コミカルさとシュールさと何とも言えない悲壮感が最高のバランスで漫画になっている。「イチゴの日」、「セクション」がめっちゃ怖かった。吾妻ひでおのサイレント漫画「池猫」、淡々と池に猫を捨てる描写が怖い。でもなんかかわいい。


見た映画

劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~

下手な吹奏楽部の演奏とややこしい人間関係がホントにリアルで吐き気がする(褒めてる)ほんとに吐き気がしたので、自分はけっこう感情移入して作品を見てしまうタイプなんだなと思う。かおり先輩みたいな先輩いたな~、とかゆうこ先輩みたいな人、いたな~とか…

ブエノスアイレス

DVDで再視聴。2回目見るといろんな仕草に気づく。1回目はウィンの奔放さにひたすら圧倒されたけど、ファイもなかなかにきついことをするな(パスポートを隠す)。やり直したいのはどっちだよ、という。トニー・レオンが悩んでる姿はとにかく絵になる。



初心忘るるべからず…


気を抜くと嫌なことを思い出して嫌な気分になりそうなので、意識してよく本を読んだ。先週に引き続き漫画もよく読む。
今週同人誌の通販を開始するので、なんだか落ち着かない。何もない一週間はあっという間に過ぎるのに、同人誌を出す直前の一週間はやけに長い。家に同人誌が届いた時点で満足したが、なにせたくさん在庫があるので(なぜならたくさん刷ったので)、他の人にも手に取ってもらえると嬉しいな。

そして週刊少年ジャンプ公式から10/24からHUNTER×HUNTERの連載再開するとの発表がありました。嬉しい。なんと4年ぶりらしい…4年。4年か…長期休載すると話の内容やキャラの設定の細かい部分って忘れたりしないのだろうか?と純粋な疑問として思い浮かぶ。どんなふうに管理しているんだろう。ジョナサンがシーザーのバンダナを巻いている荒木先生の絵をみると、どうにでもなるんだろうな…という気もする。



最近外に出てばかりなので、今週末は電車に乗らず、自転車で近所を散策したい。実は今週末もやろうかなと思っていたが、雨が降ったりやんだりで出来なかった。晴れるといいな。猛烈にキャッチボールがしたい。でも「今週末公園でキャッチボールしない?」って誘える友達はいない。だから…一人で凧揚げをします。身体がなまっている。運動したい。