漫画をそのまま映画にした映画でした。ストーリーはほぼ原作のまま、絵のタッチも原作を踏襲したもので、再現度の高さで言うとピカイチなんじゃないかと思いました。
原作を読んだ時「映画だ」と思ったのですが、映画だと思った漫画が映画になるというのは不思議な感覚で、本当に違和感がなく見られました。映画を先に見て、そのあと漫画を読んで「これは公開後に描かれたコミカライズだよ」と言われてても信じると思います。それくらいすごかったです。
映画と漫画の違いって「色」と「動き」と「音声」だと思うんですが、それらがついたことによって、藤野と京本の日々の明るさと暗さがより鮮明に映し出されたと思いました。物語なのに、二人の成長をアルバムのように俯瞰してみているような気持ちにすらなりました。
小学校の卒業式の帰り、京本に褒められた藤野がうれしさを爆発させるように駆けだすシーンは本当に最高でした。自分の絵がずっと下手だと思っていて、かないっこないと思っていた相手に褒められ、「ファンです」とサインまで求められる。同級生に「うまいね、サインちょうだい」と言われてまんざらでもなさそうに悦に入っていた藤野が喜びを爆発させている姿が本当にまぶしかったです。
ディティールについて話します。特に私が感動したのは京本の方言です。あの方言は家にずっといて、親や祖父母と話している子が自然と方言で喋ってしまうそれでしかなくて、とても感動しました。田舎の子でも、藤野のように学校のコミュニティに属する子供は標準語に近い言葉を話す人が多いので、そのへんもリアルだなと思いました。よくよく聞いていると主演の二人ともネイティブ東北弁話者でないことがわかるのですが、それでも頑張って寄せようとしてることが分かって、東北の日本海沿岸部出身の自分からするととても嬉しかったです。
あとはとにかく日本海側の田舎の暗い冬の描写がものすごかったです。あの夜とも夕方と言えない時間の、暗さと湿度をよくあそこまで表現したなと思いました。あと芸工大前の道の、雪がべしゃべしゃになった感じとかがまんまだ!と思いました。
通学路が田んぼ道である一方、藤野の家は住宅が密集するエリアにあってそこだけ違和感があったので(田んぼが通学路の場合、高確率で「集落」という感じの宅地に住んでいる可能性が高い)まぁそこは深く考えないことにします。
これは原作を読んだ時から思っていましたが、京本が殺害された後、京本の部屋の前で藤野が「私が誘ったから京本が死んだ」と呟くシーン、藤野が京本と友達にならなくても京本は背景美術と出会って美大へ行っていたし、やっぱり人の道や運命というものは他人の力ではどうにもならないくらい強固なものだから、本当になるようにしかならないというのが現れていて良かったです。
「何があっても描くし、描くしかない。わき目を振らず、自分の道へ行け」と語るようなストーリーを、チェーンソーマンの藤本タツキが描いてるんだから、いや本当にそうだよなぁ…と思わずにいられない説得力がある。ストーリーを通して絵に限らず創作活動をする人全員の背中を押す、そんな映画だったと思います。
ここで唐突に自分が語りを入れると、小学生の時担任に「漫画を書くのはやめなさい」と言われてからストーリー漫画を描くのをやめて、中学ぐらいで「あっ私って絵が下手だったんだ」と気づいた自分からすると、何が何でも絵を描き続けている二人を見るとルサンチマンの念が湧き出てきて、努力できなかった自分に対して一丁前に苦しくはなるんですが、見て良かったです。