狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。字書きが高じて今の肩書は記者です。

ケロイド[2024/3/6(水)]

「この世に自分が知らない/わからないものがある」状態がかなり嫌で、気になったものはできるだけ早いうちに真相を明らかにしようとする癖が割とある。といっても、気になった本・映画・店・場所・食べ物など、比較的アクセスしやすいものが該当する。特殊相対性理論フェルマーの最終定理を解き明かしたい! みたいな壮大な感じではない。行くなら早い方がいいと思うのは、行くまでの間に脳内で出来る仮定≒期待と外れたときに、かけていた脳のリソースがもったいないから、という理由だ。あとは単純に実情を知ってすっきりしたいという気持ちもある。

1年前くらいに肩にニキビができた。なぜそんなことを覚えているかというと、そのニキビが今も肩にあるからだ。全然治る気配がない。赤ニキビのようにぽちっと腫れており、触ると皮下にしこりのようなものを感じる。先日、「あ、これはもしかして粉瘤なのでは?」とニキビ以外の可能性に気づいた。そうなるとこのできものが何なのか気になって仕方ない。早速、会社帰りに夜間も受け付けている皮膚科に行った。
診察室に入り「このできもの、1年前からあるんですけど…」と言いながら大岡越前よろしく肩をまくると、2秒で「ああ、これケロイドですね」と診断がおりた。粉瘤じゃなかった!! 先生が触って確かめると「うん。やっぱりケロイドです。体質や体の部位によってはニキビや傷跡がケロイドになっちゃう人がいるんですよ」とのこと。ケロイドか~…粉瘤じゃなくてよかったけどまさかの回答に拍子抜けした。「そのまま放置しても問題ないですが、見た目が気になるようなら赤みを取るはり薬を出せます」と言われたので、物は試しに薬を処方してもらった。すぐに効果が出るタイプの薬ではないので、とりあえず1か月続けて様子を見てみる。
湿布のような張り薬を患部の大きさに合わせてカットし、風呂上がりに貼った。24時間貼りっぱなしでよく、毎晩風呂あがりに貼りなおすのを続けていく。

最近は職場にネックレスをしていったりする。気分が上がってうれしい。前職では結婚指輪以外の装飾品が実質NGだったため(私は小さいピアスを毎日していたが)、アクセサリーを付けられるのがうれしい。ピアス穴も増やしちゃおうかな。でも、今ピアスを開けたらケロイドになりそうでちょっと不安ではあるが。
前職では4年くらい、職場のトイレでまともに鏡を見れなかった。だから顔にまつ毛がついてても気づけなかった。純粋に自分の顔が嫌で仕方なかったから。マスクをつけてても無理だった。帽子やヘルメットを被ったあとはどうしても髪が乱れるので、その時だけ顔にピントを合わせず、髪だけを見ていた。多分醜形恐怖症みたいなもんだと思う。整形し、現職は定期的にはじめましての人と会う仕事なので、今は鏡を見れる。本当に嬉しい。顔写真はまだ撮る時や見るのに勇気がいるが、なんとかいける。

それはそれとして、わからないものをわからないままにしておく(≠放置)勇気というのも確実にある。
先日初めてユーハイムのその場でカットしてくれるバウムクーヘンを食べた。しっとり!!!!うまい!




ここから悪口

創作界隈の女性には「十分に稼ぎのある夫がいるため、自分は主婦をしながら創作をしている」という人が結構な確率でいたりする。な、舐めやがってェ~~~…お気楽極楽がよォ~~~~…(さらに、そういう人は幼少期から蓄積された美的センスと精神的な余裕を持っているので、良い作品をハイペースで生み出したりする、そして彼女らは我々を舐めているわけではない)みたいな気持ちに前は結構あったが、まぁ経済的な自主権がないという不平等さ・辛さをこの年になってだんだんわかってきたので「よそはよそ、うちはうち」みたいな気持ちになってきた。まあそれでも発給
文化的土壌がシベリアの大地より乏しい下層の虐待家庭で生まれた自分にとって、もう全員がメソポタミアの肥沃な三日月地帯で生まれ育ったように見えるんだよ。新卒でJTC入ったのだって「(負の連鎖をここで)断ち切る!」みたいな気持ちが少なからずあったわけだし…。大人になって親のダメさがどんどんわかってくるの、普通に悲しいよ。
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healthy-person-emulator.org

言葉は人格修正パッチである



読んだ本

ハン・ソルヒ著、藤田麗子訳『あたしだけ何も起こらない-“その年”になったあなたに捧げる日常共感書-』

韓国の脚本家であり40代独身女性の作者によるエッセイ。儒教の国で独身でい続けるのは、日本に比べてだいぶ風当たりが厳しそうだし、人より人生が遅れている」という感覚がありつつも、本人は自虐も交えつつのほほんと人生を楽しむ様子を語っていてよかった。私も20代前半まで周回遅れ感があったけど、今は割とどうでもよくなったなぁ。年を取ると鈍感になるところがいい。

邑咲奇『まさかな恋になりました』

サイコミで最終回を迎えました。母娘関係が複雑だったり、交際相手の実家が一癖あったりといろいろありましたが、無事に伊達くんとしおりんがゴールインできて本当によかったです。二人が結ばれたのも、二人が互いを思いやって、恋に仕事に、真剣に生きていたからだと思います。


観たドラマ

ブラッシュアップライフ(脚本:バカリズム、製作:日テレ、2023年)

面白かった!2回目以降の人生もいい感じにダイジェストになるのでテンポよくみられる。まりりんの1回目の記憶と同じ記憶が麻美にない(麻美の0周目は存在しているが、麻美に記憶がないだけ?)、麻美とまりりんの死ぬタイミングが違うのに次回の人生を同じタイミングで歩むなど、多少疑問に残る点もあったが、よかった。1話のほぼすべてが伏線になっていて、それ以降を神視点で見るのが面白い。
人間に生まれ変わりたいからという理由で人生をやり直し、薬剤師や医師やドラマのプロデューサーになるって、純粋に努力がすごい。大人の脳みそがあったところで誰でもなれるわけじゃない。

観た映画

最強のふたり(2011年、エリック・トレダノ監督&オリヴィエ・ナカシュ監督、フランス)

2月末まででNetflixでの配信が終わってしまうとのことで見た。白人の大富豪のフィリップは首から下が麻痺して動かない。そんな中、介護スタッフとして選ばれたのがムショ上がりの黒人青年、ドリス。はじめは嫌々の介護だったが次第にふたりの友情が芽生え…というあらすじ。ケアする人とされる人という構造に発生するある種の主従関係のないふたりだった。どちらかというとフィリップの懐の深さが一枚上手だが、ドリスの思い切りの良さ、面倒見の良さがフィリップの人生を変えていくのがすごかった。人からしたらおせっかいでしかないんだろうけど、おせっかいが世界を救うこともある。



twitcasting.tv
遠出の写真をまとめた動画を作りました!第1回は尾道の様子をお届けします。


ヴォォイ!!8番目に予約した本が3か月たっても順番が5番にしかならないってどういうことだ。前に予約していた3人が1か月ずつ借りてるってこと…?延滞しすぎだ!!!!!!腹立つからもう普通に定価で買っちゃおうかな。

書を捨てず町に出よう[2024/3/4(月)]

今日は秋葉原で用事があったので、ついでにヨドバシアキバに寄った。なんだかんだではじめて来た。美容家電コーナーはほぼ全部の商品がお試しできるようになっていた。ヘアアイロンを試してみたかったが、近くに店員がおらず断念した。一人でゆっくり見たいときは光の速さで寄ってくるのに、いてほしいときはそばにいない、それが電気屋の店員。
ゲームコーナーに行くと、ゲームソフトはもちろん、グッズなども販売していた。任天堂のゲームに登場するキャラクターのぬいぐるみコーナーがあったので、今話題のカービィのぬいぐるみを購入してしまった。かわいさにはあらがえない…誰かが触れたぬいぐるみを買うのが苦手なので、一番奥に埋まっていたカービィを買った。
やはり、量販店に来ると、自分からは掴みにいかない情報まで掴めるので楽しい。思いがけない出会いもある。本屋と同じだな。今まで、待ち時間が発生したときは本屋に行っていたが、電気屋に行くのもいいなと思った。
オーディオコーナーにあったYAMAHAサウンドバーが良かったので、ボーナスで買っちゃおうかな。他にはいいドライヤーが欲しいし、コーヒーメーカーも欲しいし、スマートスピーカーも欲しいし、小さいプロジェクターも欲しい。欲しいものがたくさんある。
電子ピアノコーナーには、今まで見たことがないほどの数の電子ピアノが並んでいた。もちろん全部試奏できる。10年ぶりくらいにピアノに触れると(こんなに鍵が大きかったっけ!?)とビビる。鍵の大きさすら忘れてしまうほど年月が経ったということだ。自分の指とは思えない指の回らなさにもどかしさを覚えながらも、子犬のワルツを思い出しながら弾いた。子供の時にやったことってマジで忘れないんだな~…と感動した。平日夜のピアノコーナーには私と同じような会社帰りらしき大人がちらほらいて、みんな思い思いの曲を弾いていた。ここが令和のミュージックサロンですか。一人一人は干渉し合わないけど、何となく同じカラーの人間が集まっている感じがして良かった。

夕食はJRの駅そば、いろり庵きらく。かけそば一杯400円の表示に値上げの波を感じる。かつおだしが強めのつゆだが、麺がモソモソしておいしくなかった。私はやっぱり嵯峨谷派だ。次点で富士そば小諸そば

帰宅中に「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットを作りアブシィトを加えて作るエチオピア料理のインジェラを食べに行きませんか」とお誘いツイートをしたら、同行してくださる方が見つかってハッピーでした(行きたいお店が2人前からのオーダーが基本のお店なので、一人で行くのが結構難しい)。どんな味がするのか楽しみです。


家に帰ってからやっと食洗器(SOLOTA)のサブスクの申し込みをした。なぜか1年くらいずっと迷っていたのだが、やっと重い腰を上げた。月額1290円で単身向けの食洗器をレンタルできる。外食1回分の値段で皿洗いから解放されると思えば安いものなのに、踏ん切りがつかなかったのはなぜだろう。最近は毎晩弁当箱を洗うのが本当に億劫なのでこれで一つタスクから解放されることになる。洗い上がりのクオリティなどは気になるところではある。
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これを聞きながら夜道を歩くのが好き

読んだ本

ジェーン・スー『今夜もカネで解決だ』

好きすぎるタイトル。凝り固まった疲れを運動ではなくマッサージ(カネ)で解決しようと、都内のさまざまなマッサージ店をめぐる本。連載誌はAERA
オイルマッサージは気持ちいいよね~…性的な意味では全くなく、誰かに触れてもらって、ほぐしてもらってはじめて心が緩む瞬間というのは確実に、ある。労働環境や待遇にまで言及しているのがすごい。私もそれはマッサージを受けるたびに気になっている。ここまでカネをつぎ込めるのがすごい。自分は日常的にサウナに行き、四半期に1回程度岩盤浴とアカスリに行くくらいだから、いろいろ試してみたい。やったことがあるのはカッピング、ヨモギ蒸し、リンパドレナージュくらいか。アーユルヴェーダはめちゃくちゃ気になっている。今ちょっとホットペッパーで調べただけでも手ごろな価格のサロンがたくさん出てきたので、一度お試しでいきたい。

俺物語‼(作画:アルコ, 原作:河原 和音)

6巻まで読んだ。本当に面白くて読む手が止まらなかった。巨漢の高校一年生・猛男が電車で痴漢にあっていた少女・凛子を助けるところから物語が始まる。登場人物が全員ものすごくいいやつで最高。少女漫画は付き合うまでの紆余曲折を描いてるものが多い気がするけど、これは完全に付き合ってからが本番な話。1巻の告白までの流れは教科書級の描写だと思った。
猛男と凛子は互いに思いやりがあっていい関係だった。ふたりの仲を深めながらも友人や周囲との人間関係をものすごく大切にしていていい。凛子の誕生日の話は本当にグッと来た。基本的に猛男の視点で物語が進み、「好きだ」という心の叫びが全面に押し出ていて最高。青春!!ピュア!!!愛!!!! 誰もが自分の気持ちを素直に言えるわけではないことや、健康に赤子が生まれることが奇跡という、日常での気づきを得ていく描写もいい。
凛子ちゃんの一人称が「うち」なのも平成のJKという感じがして好き。猛男の幼馴染である砂川もクールながら思いやりにあふれた人物で「最高だよアンタ!」という気持ちになる。映画も見てみたい。

記者はゲスな嫌われ者か、ほか(短文回)[2024/3/3(日)]

前職では同じ部署の後輩が鬱で休職したり、現職では同時期に入社した年上の同僚が飛ぶ中、持ち前の能天気さを発揮し今日もまぁまぁ元気に仕事をしています。Yes!鈍感力。たまに「私以外全員死ね」の気持ちにもなりますが、人生そんなもんさ、ということで久々の短文回をどうぞ。

占いに行った

豊川稲荷東京別院に併設されている占いに行った。四柱推命で占ってくれる先生で、ざっくり言うと「転職した時期はいい時期だった。お金の心配はなし。32歳までは知見を広める時。でも今年が革命の年だから色々挑戦するとよい。逆に今挑戦しないでいつ挑戦するんだという感じ」ということだった。大器晩成型で、完全に穂村弘のそれじゃないか…と思った。詳しくは別の記事でまとめたい。ラッキーカラーは白と金。

なんでみんなそんなに性愛に興味があるんだ

パートナーがいたり、家庭を持つ人のエッセイを読むと(なんでみんなそんなに恋愛や性愛に興味があるのだろう)と思う。
植本一子さんのエッセイを読んでいた時、元彼に会った話とかが出てきて、自分は別れた元恋人や元友達とは死んでも会いたくない人だからめちゃくちゃ衝撃を受けた。この方は子供が生まれてからも彼氏作るなど、とにかく男性関係の話が多い。え、まじで、なんで、そんなに、他者(男性)に興味が湧くんだ…依存じゃないのか…と思った。もう本当に別世界の人に見える。自分はと言うと、この前恋人だった人の写真を数年ぶりに見たら(こんな人だっけ…)となった。そのくらいどうでもいい。自分のセクシャリティをよく考える。結構しんどくて、今考えていることをラジオのふつおたに送るつもりで、つらつら書いた。

人が産まれる前の前段階について

当たり前だが、母体が妊娠し、出産することで人が産まれる。現在友人が妊娠中でかなりしんどそうにしていて様子を聞くだけでもつらい。彼女自身は子供は欲しくなかったが、夫が欲しいから産むことにしたと言っていて、彼女にそんな苦役を強いる&キャリアを一時中断させる夫はなんて酷い奴なんだとけっこう本気で思っている。まぁ彼女が同意しているから私には文句を言う権利は一切ないのだけれど………。アダムとイブが知恵の実を食べたことで男には労働の苦しみを、女には女は妊娠と出産の苦しみをそれぞれ神から与えられたわけだけど、現代女性は労働も妊娠の苦しみも背負っている。辛すぎるだろ。かといって「男は外女は内」のゴリゴリ家父長制に戻ってほしいとも思わないけれど。
というか、その子と渡韓する予定だったんだけど、白紙になって普通に悲しいわ。

人が亡くなることについて

そういえば同級生が死ぬという状況に初めて出会ったのが高校の時で、その人は急な病気で亡くなってしまった。仲が良かったわけでもなかったが、衝撃はかなり大きかった。その後、同じ高校の生徒が事故で亡くなった。本当に、自分が生きてるのは運がいいだけなんだなと思った。大学を卒業した頃に高校の同級生が自死したり、その後もちらほらあって今に至る。
前職では元上司が急に亡くなったりもした。本当にいい人だったのでもう悲しすぎて、お葬式には行けなかった。その日はずっと家からお祈りしていて、ちゃんとお葬式に行けばよかったと今も後悔している。

4世代同居

中学に上がる頃まで4世代で暮らしていた。(曾祖父、祖父母、父母、私と兄弟)これが世間のスタンダードかと思っていたがそうじゃないらしいと知ったのは高校生になってから。えー、友達の家なんて脅威の5世代だったぞ(高祖父母、曾祖母、祖父母、父母、友達)。違う友達の家は祖父母、父母、長男夫妻、次男夫妻、友達という、まさかの3世帯同居だった。田舎ではとにかく一緒に住む人数が多かった。それだけの人数を収容できる家がすごい。そういえはどの家も大体でかかった。今も実家の写真を関東の人に見せると「家でかくね?」と言われるが、まじで、これが田舎の標準仕様なんだよ……。今は若者が居なくなり年定年間際の夫婦と祖父母が暮らす世帯が多い。

ありがとうございます

少し入り組んだ作りの定食屋でご飯を食べていた時に思ったことを書く。客が席を立ち上がった時の「ありがとうございまーす」という声は、客をお会計のレジ前まで誘導する力があるな。なんか「社会」って感じがして、面白かった。


記者はゲスな嫌われ者か

ほぼほぼすべての一般の人にとって記者とは「芸能・政治・事件」関係の取材をする人間を指す。経済、産業、文化、地域など記者の種類は多岐にわたるが、それらの記者はそもそも認識すらされていない。世間一般で「ゲスな嫌われ者」とし叩かれているのは「芸能・政治・事件」畑の人たちなので、私は特に何も思っていない。まぁ記者と言うだけで警戒されるのは事実である。それ以外の分野の記者およびライターは淡々と取材をこなし、記事を書くだけだ。
先日の『安住紳一郎の日曜天国』で、御料牧場に取材に行った話をしていた安住アナが「時に我々はマスゴミだと揶揄されますが、一般の立ち入りが許されない御料牧場で取材できたのは、TBSが長年の報道で信頼関係を気づいた結果です」と言っていてよかった。

でもそれにしても大谷選手の記者会見はひどかった。大谷選手は昭和のクソジジイ質問をいなして答えずに受け流していてすごかった。「女性に料理で支えられたか?」の質問が最悪of最悪すぎる。なぜ女性=料理、支えるなのか。アスリートの妻は自分のキャリアを投げ打ってでも夫に尽くすべきという刷り込みなのか。夫には夫のキャリア、妻には妻のキャリアがある、じゃなだめなのか。そもそも素人の料理より、球団の管理栄養士やシェフが食事面をばっちり支えてくれるだろうから、それでいいだろと思う。


加熱式駅弁を食べてみたい

孤独のグルメで「誰か温めるシューマイやったんじゃないのォ」と新幹線内で非難されていた、あの弁当のことだ。よっぽどのことがない限り駅弁を買わないので(高いから)そもそもの駅弁偏差値自体が激低いのだが、あっためるやつだけは食べてみたい。調べると冬の間は種類が多いそうなので、近いうちに東京駅で買って自宅で食べたい(新幹線内で食べる勇気はない)。


人の人生なんだと思ってるんだ

前職の後輩がど田舎に転勤になった。私が引かなかったくじを後輩がひいたのかもしれない。前職は本当に転勤が多くて、人の人生なんだと思ってるんだという感じだ。その分給料が高いと言われればまあまあ高いかもしれないが、それ以上に引っ越し関係の費用もかかるし精神も消耗する。いつまでも昭和みたいなことをしていると、離職者は減らないぞ。


「末路」を好むものの末路

たまにGoogleのサジェストに「末路」という言葉が出てくる(例:嫌われ者 末路)。なんというか、そこまでして人の不幸を願いたいのか…と思ってしまう。願うというよりは、気に食わない人間はこの先不幸になってしかるべき! 愚かなるものへの当然の報いが今後やってくる(≒公正世界仮説)というのを信じて、溜飲を下げているのに過ぎない気もするが。いったいどういう人が検索しているのかは気になるところではある。


うーん

ジェーン・スーさんのことは基本的に好きだけれども、苦労話はあまり響かない。「うちは金持ちだっけど1回すっからかんになったんだよ」と言っても日本の大多数はそもそも金持ちの状態に一度もなれない人が多いと思うので、1回でもいい思いできたならまだマシじゃないですかという気持ちになる。実家が太かったおかげで国立小からフェリス、会社員時代はバリキャリと人格形成の時期を上澄みで過ごせたわけだし…。貧乏虐待家庭で生まれ育ったものからの完全な妬みです。

毎週土曜日にアクセス数が増えている

読んだ本

植本一子『降伏の記録』

下手なホラーより怖い。生活の記録の仕方は好きだし唸る部分もあるけど、内容は好きじゃなかった。24歳年上のおじさんと結婚して子供にカルチャーな名前をつけて、その時点でだいぶ変な人だなと思っていたけどやっぱり変だった。
結婚後も友人としてではあるが元彼と会ったり、「男といると甘えられるから男といる方が気楽」であったり、子供が生まれてからも夫とは別の彼氏がいたり、病気の夫をずっと疎ましく書いていたりと、ずっと(ええ……)と思った。なんでそこまで男性と性愛に依存しているんだ。「健やかなる時も病める時も」で結婚したのではなかったのか。でも、仕事に家事に育児にだと疲れるのも当たり前…と思っても、ずっと辟易している様子に、かばいきれないところもある。
駐輪禁止の場所に自転車を停めたとき、同じマンションの人に注意されて「気持ち悪い」と悪態をついていたのは本当に信じられない、と思った。
「石田さんは私を受け止めてくれない」と言っていたが石田さんは彼女さんを十分受け止めているとは思うのだが…。自称繊細さんのような厚かましさを感じる。この人は「自分を理解されること」にずっと執着していて、おそらく愛着障害があるのでは…と思った。仕事相手に「自分のことは本に書かないで」と言われると傷つくくせに、「読者にぶっちゃけ系だと思われているのが嫌」と彼女は考える。そう思われても仕方ないのでは、と思えるほど生活についての描写が綿密だ。かっこつけずに、ここまでさらけ出せるのはすごい。「これ書いていいの?」ってところまで書いてる(校閲で止められていない=書いていいことなんだろうが)。かなり自己中心的で、他人を傷つける行動をたくさん取っているにもも関わらず、自分の中で全部正当化されてるのも怖い。その癖に、自分への攻撃は人一倍敏感で、「呪い」と評する。なんだそりゃ。白いページについて、ほとんど吐きそうになりながら読んでいた。そりゃ、避妊をしないで性行為をしたら子供はできるだろ。中学生でもわかるぞ。そんな人が文筆家の中でもかなり売れているほうである事実が怖い。
前著の内容に触れることも多かったのだが、前著を読んでいない人間には事情が分からない部分も多かった。怖いもの見たさで前著も読むか。雨宮まみがこの方を苦手だったのが分かった気がする。
「子供を産むと精神が成熟して一人前になる」とアホみたいなことを言う人がいるけれど、この本を読んだ後もその台詞が言えますか? 多分言えないと思います。この人の場合、むしろ未熟だから私利私欲で産んでしまったのではないかと思う。と連載から書籍化が非常に早く、河出が売りたい本なんだろうなとは思った。


なんか、女性のエッセイを読むとその人の人生を批評しているような視点になってしまうので、そういう自分が嫌だな…と思う。百万年書房の本を読んだ時も思ったけど、もう読まないようにしようかな。


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3月3日といえば両津勘吉の誕生日で、中川が誕生会のために奔走する日ですね。私はお祝いにキャラメルコーンを食べました。

いぇ~い、みんな、うるうってるかい?[2024/2/29(木)]

うるう年のうるう日。ちょうど4年前の今日、コロナが流行り始めの最中に椎名林檎が東京ドーム公演を強行した。あれからもう4年経ったのか…と思う。2020年から23年まではコロナが嬉しくない一世風靡をしていた。今もゼロになったわけじゃないけど、だいぶ存在感を消している。町中のパーテーションは取り払われ、医者体制もほぼ安定した。アルコール消毒や密にならない状況づくりだけは残ったのは本当にうれしい。


朝起きると昨日食べた背油ラーメンがまだ胃の中に残っていて胸焼けしている。最近高カロリーのものを食べてセルフネグレクトのようなことをしているのがよくない。痩せたい。布団の中で携帯を見ると、昨日の夜にきなちゃんから返信が来ていることに気づいた。「もう8年?9年前?か~早いね」というメッセージ。8年くらい前はまだまだ成人したかどうかの真っ只中で、チーク濃いめ、前髪重めのファッションがまだまだ流行っていた頃だ。

今日は新宿で劇場版SHIROBAKOの上映会があったが仕事で行けず。直前になっていけそうな雰囲気にもなったがチケットがないのであきらめた。その代わりと言っては何だが、仕事で板橋方面に来ていたこともあり、染井温泉SAKURAに行くことにした。巣鴨で降りて、せっかくなのでおばあちゃんの原宿と名高い巣鴨地蔵通り商店街に足を向ける。通りの幅が想像の3倍広く、店の間口も広い店ばかりでゆったりとした雰囲気が流れている。飴屋や赤い下着屋、金物屋や敷物屋、エプロンや部屋着を売る店など、ラインナップがいい。おばあちゃんの姿はちらほら、おじいちゃんや若者ももちろんいる。そこで、急に死んだ母方の祖父のことを思い出した。私が小1の頃にガンが見つかったあと、半年くらいであっという間に亡くなってしまった。その頃たしかじっちゃん(祖父)は63歳くらいで、今思えばかなり早い死だったと思う。つまり私の母は30代で父を亡くし、祖母も還暦付近で夫を亡くしたことになる。なんかこれって、ものすごいことだな…と今更気づいてしまった。母からも祖母からも一切弱音を聞いたことはない。自分がこの歳になるまでこの事実に全く気づかなかった。ここから祖母は姑である曾祖母と十数年に渡って二人暮らしすることになる。
祖母と父方の祖父母は健在で、幸い全員認知症も介護もなく暮らしている。若くして亡くなったじっちゃんは一人親方で色々破天荒な人だったと聞いているが、私は優しくてよくアイスを買ってくれたイメージが強い。

商店街のアンテナショップで昆布巻きを買い、徒歩で染井温泉SAKURAへ向かう。ここがとても良かった!サウナは広くて階段が多いし、水風呂が深い!お風呂は旅館みたいな風呂でジェットバスが気持ちいい。食事処もサービスが丁寧で、休憩所の家具や内装も凝っていた。これで1500円ちょっとは正直破格だと思う。都内温泉施設ランキングの上位に食い込む。少し駅から離れているが、歩ける距離だし無料送迎バスもあるので絶対また来たい。

暫定版都内温泉施設ランキング
1位 水道橋・スパラクーア
2位 染井温泉SAKURA
3位 荻窪・なごみの湯
4位 近所の銭湯
5位 深大寺温泉・湯守の里

行ってみたい
・池袋・タイムズスパ レスタ
・アクア東中野
・スパジャポ

サウナのテレビで大谷選手の結婚報道が出た時、周りのおばちゃんたちがザワついていた。サウナを出たあと、意を決して1年振りに体重計に乗ってみた。なんと体重はほとんど増えていなかった。てっきり5kgくらい増えたと思っていたのに……つまり筋肉が落ちて脂肪に変わってしまったということ。悲しい。休憩所で俺物語を読み、雨の中、バスで巣鴨駅まで戻って帰宅。なんだかんだいい日だった。


自宅の最寄りに着き、雨の中歩いて帰る。歩いていると自然とじっちゃんのことが思い出された。じっちゃんが亡くなった日、いとこのお姉ちゃんと妹と三人で祖父母の家にいた。病院から亡くなったことが伝えられ、母と祖母は病院に向かい、子供たちは留守番をしていた。家の中にいてもなんとなくつまらなかったので、何となく庭で遊んでいると、雨が降り出した。でもそれは霧雨のような雨粒が目にうっすら見えるのだけれど、体は全然濡れない。地面も濡れない。おかしいと思い「雨降ってるよね、見えるよね」といとこのおねえちゃんに聞くと「うん。見えるよ。でも濡れないね。不思議だね」と言っていた。夢や幻ではなく、本当にそうだったのだ。しばらくその光景を見つめていると「じっちゃん(が雨になって)来たかな」とおねえちゃんは言った。そんなことあるはずない、と思ったけど、そうとしか考えられなくて、私はただ黙っていた。
このほかにも急に色々じっちゃんのエピソードを思い出した。ものすごく恋しくなって、涙がぼろぼろ出た。こんなことは今までなくて、泣いてる自分にもびっくりする。ポッドキャスト『OVER THE SUN』で「死んだ人を思い出すと、天国でその人の周りに花が降る」という話題が定期的に上がる。それを思い出して、じっちゃんの周りにも花が降っているといいなと思った。

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変な話、1周年。


観たアニメ

たまこまーけっと(2013年、京都アニメーション

シンプルに、いいアニメだな。本作は、うさぎ山商店街にある餅屋の娘・北白川たまこを中心とした日常アニメです。たまこはまっすぐでいい子だし、もち蔵は不器用でかわいいし、お父さんは頑固だし、デラちゃんはマスコットみたいだし、商店街の人たちは優しい。日常のすべてが、奇跡のようなバランスの上に成り立っているということがよくわかるアニメだった。
そして、商店街のおまつりとか、お父さんの作った歌とか、文化祭の出し物とか、結果ではなく過程や感情にフォーカスをあてているところが本当によかった。
商店街という共同体の中で関係を維持し、自分が生まれ育った場所と思い出を大切に過ごしたいという、ごくごくシンプルな願いをかなえるのは意外と難しい。それをたまこは自覚していて、ちゃんと口にだして行動していたのが本当にえらいなと思います。



本は長い本を4冊くらい同時に読み進めています。

祈りと過去の幻燈[2024/2/24(土)]

今日は盛りだくさんな一日。全部を書くと冗長になりそうなのでかいつまんで書く。
朝、プチヴェール(ケールと芽キャベツのあいの子の野菜)とベーコンをソテーしたものとトーストを食べる。リーフレタスよりしっかりした歯ごたえで美味しかった。ベーコンと葉野菜を炒めたものが好きなので、積極的に食べていきたい。最近鍋以外の野菜を食べていない。つまりもやし・白菜・人参しか食べていないということなので、圧倒的に緑黄色野菜が足りていないことになる。

晴天だが風が強く、とても寒い一日。今日はずっと行ってみたかった東京ジャーミィとしながわ水族館に行く。
代々木上原の東京ジャーミィに着くとどうやらこれから結婚式が執り行われるらしく、1階のロビー部分は華やかな雰囲気に包まれていた。2階の礼拝堂は参拝可能だということだったので、スカーフを借り、頭に巻いて中に入る。
信者の人が膝まづくような体制で礼拝を行っているのが見える。我々が神社や寺に行ってする祈りは、数秒~数十秒程度で終了するが、イスラム教徒の方はしっかり時間をかけて祈っていた。最近「祈り」ってめちゃくちゃ大事じゃないか? と思う。別に、怪しい宗教にハマっているわけではない。祈ってるときって、自分がどうしたいのか、どうなってほしいのかが見えてきやすいし、心が落ち着く気がする。あとは「他者に幸せになってほしい」という表れでもあると思うし(SHIROBAKOでもみゃーもりが「じゃあみんなで(みーちゃんが)受かるよう祈ろう!」と言っていたように)、いろんな意味があるね。
モスク内は瑠璃色のアラベスク模様が本当に美しく、心が洗われるようだった。


電車でブログを書きながら移動。スマホで長い文章を書くのは本当に好きじゃない。フリック入力が思考のスピードに追い付かなくてイライラする。大井町しながわ水族館行きの無料バスに乗り換え、やっと着いた。小さい規模の水族館だが、連休中日&唯一の晴れの日ということでかなり混んでいた。魚見るってレベルじゃねーぞ! だったので、イルカショーの座席交代のタイミングに滑り込み座った。寒い中外でじっとしているのは結構つらい。それプラスまわりは小さい子供連ればかりで、非常にやかましいのがつらかった。いや休日に一人で来てる私が悪いんだけれども…自分と似た世代の人が子供をもうけているのがすごいなと思う。私は絶対欲しいと思えない。イルカショーは10分ほどの短いものだったが、座席が近いぶんダイナミックで楽しかった。動物のショーを見ていつも思うのは「調教師がすごいな」ということ。動物の訓練は非言語コミュニケーションの最たるものだ。
ショーの後いったん外に出てまた館内に入り直すと、驚くくらい人波が引いていてゆっくり見られた。今回水族館に来たのは、たなと『あちらこちらぼくら(のあれからとそれから)』の聖地巡礼のため。園木と真嶋がデートしたとこここか~とひとりでニコニコしながら歩いた。
途中、高知の足摺海底館からの出張展示のウミウシがいてかわいかった。足摺海底館といえばpanpanya『足摺水族館』なので、偶然とはいえ見られてよかった。高知にも近いうちに訪れたい。昔行ったときは、四万十川がものすごく綺麗だった記憶がある。

大井町のマックでチュロスを食べて休憩する。星形の外殻の中に丸い生地とチョコが入っているような構造でなんか面白かった。中延まで大井町線で移動。大井町線に乗るのは3年ぶりくらいで、結構懐かしかった。隣町珈琲でkashimir先生とpanpanya先生、そして楽園の飯田編集長のトークイベント。「楽園の背景」と題し、二人の先生が撮った風景写真についてひたすらコメントをするというイベント。panpanya先生が「油壺マリンパークで見たクジラの標本づくりのビデオ映像が忘れられない。でももう閉館しちゃったんですね」と言っていた。おふたりとも、「これは〇〇で撮った写真で…」と当時の光景を事細かに覚えているのがすごと思ったし、こんなふうに写真を披露できるほど写真を管理しているのが凄いと思った。
穏やかに写真を見て回が終了した。「カステラ風蒸しケーキ」の実物写真が投影されると客席からは歓声が上がる。食べてみたかったな。
それにしても、他人が撮った風景の写真を本人の解説を交えながら見るのは楽しい。自分でもお出かけの写真をまとめてスライドショーにしてみるかとiCloudの写真を整理し始めた。iCloudに残っていたのは2014年以降のデータだけだったが、ここから本格的な選別作業を始める。PCのiCloudスマホを同期させ、スライドに使えそうな外出の写真をざっくりピックアップするだけで4時間くらいかかった。外出に関する写真おおよそ6000枚あった。これでもかなり見落としはあると思う。

写真を選別し始めて思ったのは、カメラロールを見ていると、自分が当時何を大事にしていたかがよくわかった。筋トレに打ち込んでいた時は自分の体の写真ばかり保存してあったし、自転車に打ち込んでいた時は自転車の写真が多かった。コロナ以後は美術館や本の写真が増え、最近は散歩の写真が多かった。紹介する写真については何かしらのテーマを設けたほうがいいなと思うので、いろいろ分類しながら動画を作っていこうと思う。整理中、大学生の頃の写真がでてきて、友人のきなちゃんが写っているのもあったのできなちゃんに送る。

イベント後は五反田の平太周で背油ラーメンを食べた。正直微妙だった。新潟で食べた背油ラーメンに超えるラーメンにまだ出会えていない。ちなみにその店は2017年で閉店してしまったとのこと。悲しい。家に帰って風呂に入ると寒さによる疲れがどっと出て、早めに寝た。


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パンダさん回についに石田さんが登場。だーいし感がたまらない!

読んだ本

こち亀 1~2巻

破天荒中川が見れると評判のこち亀1巻。拳銃をぶっ放したり、女の子をナンパしたり、高級な服を自慢したりと、今とはずいぶんキャラが違う。両津の一人称がワシじゃなくて本官なのがいい。漫画全体もトーンではなくスミで塗ってるのが趣深い。山止たつひこ名義の読み切りも載っていた。


観た映画

タクシードライバー(1976年、マーティン・スコセッシ監督、アメリカ)

見ながら福祉と社会復帰について考えてしまった。
ベトナム戦争帰りの元海兵隊員が「夜眠れないから、どうせなら稼ごうと思って」とタクシードライバーになるところから話が始まる。やや社交性に欠ける彼はマンハッタンの荒廃した様子(ドラッグや売春など)を目にし、辟易する。
彼は最終的に、アイリスがいる売春宿で元締めのマフィアを殺した。結果「マフィアを成敗した勇気あるタクシードライバー」と新聞に取り上げられたが、それはたまたまで、アイリスに近づく男を私情(独りよがりな正義感)で殺したに過ぎない。
パランタイン大統領候補の暗殺だって、ベッツィーがパランタインの事務所で働いているからパランタインを暗殺相手に選んだだけ。つまり、好意を寄せる女性に自分が注目されたい、世間からの承認を得たいというだけの同機で動いているにすぎない。
昔のノワール映画らしい、若干のとっつきにくさはあったが、戦地から戻った兵士の再雇用や社会復帰など、いろんなテーマを内包していた。

見ていて、オッドダクシーでの「タクシードライバー」オマージュが多いなと思った。
・主人公(小戸川)の不眠設定
・第一話で小戸川と剛力が「We Are The World」のブルース・スプリングスティーンの話を執拗にしていた(「We Are The People」をもじっている)
・看護師の白川が薬を横流する
・銃を手にする
・樺島の承認欲求

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まっがーれ↓スペクタクル、まじで曲が好きすぎる。これぞ2000年代!なサウンド


現在、とにかく服を全部捨ててしまいたい衝動に駆られている。捨てると着る服がなんとかなるだろう。

外出の弊害[2024/2/18(日)]

朝から暖かい一日。急に気温が上がると体調が悪くなるので本当にやめてくれよ…と思いながら起きた。2月は毎年メンタルの調子が悪いのだが、今年はかなりマシなのでよかった。暖冬と服薬のおかげかもしれない。
先日、3年ほどずっと動かしてきたツイッターのアカウントを誤って失効させてしまった。ごく少数の人とつながるためのアカウントで、ひとり言をひたすら呟いていたのだけど、昨年末からかなり愚痴っぽくなってしまい、正直言って他人を傷つけるようなこと書いていた。だから少し頭を冷やそうと一時的にアカウントを削除しており、気持ちが落ち着いた頃に復活させようと思っていたのだが、復活の期限を1日勘違いしていたせいで、完全にアカウントデータが消えてしまった。またアカウントを作り直せばいいだけなのかもしれないが、積み上げてきた写真データやつぶやき、友人とのやり取りはもう帰ってこない。失われたものは復元不可能だ。


朝食兼昼食に目玉焼き丼を作って食べた。昨日登山に行き、肉体的な疲労は溜まっていたが、運動したい気分だったので自転車で神代植物公園へ行く。かなり気温の高い日で少しこいだだけで汗が出てきた。冬の植物園ってどんな感じなんだ、と思ったけど梅が咲き始めていて綺麗だった。大温室はまるで熱帯のジャングルに来たよう。ツタの植物やサボテン、ヤシ科の植物などが鬱蒼と茂っている。特に感激したのは睡蓮の池。いろんな色の花を咲かせた睡蓮は綺麗だった。帰りに近所の公園で凧揚げをした。

最近よく出かけているが、本当に行きたくて行っているのか、ただ単に家にいない口実として出かけているのかわからなくなっている。でもフットワークが軽くなったことは事実だ。同人にのめり込んでいた頃は、週末は家で原稿するのがメインだったから、その頃から比べて知見を広めるチャンスみたいなものはかなり増えた。ただ今は、家でじっくり何かを考える時間が減っていて、あんまりよくないなと思う。じっくり考えたり何かに取り組む時間を設けたい。外に出て何かをしていると、小さい隙間時間がたくさん出来る。でもその時間で何をするわけでもなく、ついスマホを弄ってしまう。これが良くない。休日の移動時間は何故か本を読む気になれないので、「せめても」という気持ちで電子書籍でマンガを読んでいる。インターネットの時間を減らしたい。

夜は立川で「哀れなるものたち」を見て、軽く飲酒をしてから帰宅。遅く起きたのに寝る時間は毎日一定なのが悔しい。結局今日は中国語の勉強ができなかった。


見た映画

哀れなるものたち(2023年、英・米・愛合作、ヨルゴス・ランティモス監督)

自殺を図った女性が妊娠していた胎児の脳を移植され、「ベラ・バクスター」という新しい存在として成長していく物語。カラダは大人!頭脳は子供! 「女性の自己決定権は、その女性を支配する男性ではなくその人自身にある」という当たり前のことに気づかせてくれる。この映画はフェミニズム映画と銘打っているわけではないが、その要素がふんだんに盛り込まれている。
博士の家の中で暮らしていた時は映画はずっとモノクロだったが、弁護士と駆け落ちしてセックスをしたことで世界に色がつく。この弁護士の名前がダンカンなんので、反射的に(ダンカンこの野郎!)と思ってしまった。ダンカンは勝気な割に嫉妬深く、すぐめそめそするする。かなりひどい男なんだけど人間臭くてちょっとかわいいと思ってしまった。ダンカンこの野郎!
船の中で「知性」的な部分に目覚めていく。わかりやすいターニングポントだ。
キラキラした空だったり、風変わりな街だったり、ファンタジー要素は強め。あとは何と言ってもファッションが最高! 登場人物たちは19世紀風の服装に身を包んでいるが、ベラだけは現代的な要素(ショートパンツだったり透け感のあるローブだったり)のある服を着ている。
美術やインテリアもものすごく凝っていて、それを見るだけでも楽しい。魚眼レンズや変わったカメラワーク、パリやリスボンなど土地を移動する事に挟み込まれるグレーのカットインが良かった。

ミッドナイトスワン(2020年、内田英治監督)

ものすごい映画だった。ロングランで上映されたのも頷ける。
ニューハーフショーのキャバレーで働く主人公の凪沙は性別違和を抱える男性。性別適合手術の資金を貯めつつ定期的に女性ホルモンを打ち、女性的な見た目で日々の生活を送っていた。ある日、育児放棄された姉の子・一果を一時的に引き取ることになる。凪沙のチュチュを手にした一果がバレエに興味を持ち…というストーリー。
草彅さんの演技がものすごかったですね…仕草が女性そのもの。でもよく見ると肌や骨格が男性で、女性でないことがわかる。そして一果役の服部樹咲ちゃんのバレエが素晴らしかったてす。

バレエ教室の先生に「お母さん」と呼ばれたところが完全に凪沙の人生のターニングポイントでしたね。おじいさんが「オデットは朝になったら白鳥に戻る」と言っていたのは、凪咲の隠喩でもあるのかな、と思った。いくら女性らしくしていても、夜の間しか真の姿でしかいられないから。タイで性適合手術を受け、それが原因で感染症にかかり命を落としてしまう。感染症にかかって血まみれのオムツを履いてる凪沙が本当に痛々しくて、悲しかった。一果が広島に戻ったあと、先生が広島までレッスンしに来てくれ、一果がバレエ学校のスカラシップを取れなかったら本当に報われないエンディングになっていた。


読んだ本

射精責任(ガブリエル・ブレア 著、 村井理子訳)

妊娠・出産の責任がなぜ女にばかり押し付けられているのか、望まない妊娠の原因は男性の無責任な射精に原因がある。男たちの怠慢を許さず、きちんと責任を持てという内容。コンドームの着用や精管結紮(パイプカット)は女性のピル服用や卵管結紮に比べてはるかにリスクが低く安価なのに何故やらないのか。
男性側の不都合を「全て女性に押し付けている」現状を何とかしなければならない。アメリカの場合は中絶が州法で禁じられているから尚更。日本も早く緊急避妊薬をにゅうしゅしやすくしてくれか。女性の体の自己決定権が女性にないのは日本も同じ。

昴 11巻(最終巻)

伝説の一夜となったシステロン・カンパニーの「ボレロ」の後、昴はぽっと出の地味な男とくっつきそうになって終了、の尻切れトンボ感…。10巻のプリシラ・ロバーツとの手に汗握る戦いはどこに行ってしまったんだ…。山王戦で終わったスラムダンクみたいな終わり方だけど、若干消化不良感が残る。プリシラとのエピソードがよかっただけに……と思ったら、『MOON昴』という続編が出るらしい。読みます。

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やっぱりAwichの曲は泥臭く女性をエンパワーメントしてくれるな。まさに「ファイトソング」という言葉がぴったり。


何度も読んでいるAwitch特集のクイック・ジャパン。


「哀れなるものたち」に出てきたみたいな、首の詰まった水色のパフスリーブブラウスを買った。中肉中背の骨格ストレートにはなかなかの鬼門だが、着たい物は着たい。スタバの花見だんごフラペチーノは、だんごが完全に蛇足だった。冷たいドリンクに駄菓子のサクランボ餅のような食感はミスマッチ感がすごかった。

なめんなよ今から本気出す[2024/2/16(金)]

「素敵」という表現は素敵ではない

女性同士の会話でよく耳にする「素敵」という言葉だが、最近これがものすごく気になる。上品なニュアンスがあって耳障りのいい言葉だし、汎用性が高い。そして「憧れ」に似た成分も混入しており、「上から目線になりにくい」という効果もある気がする。だから多用する人が多いんだろうけど、便利な言葉だからこそ「あ、こいつなんも考えないで言ってるな」というパターンも多くて嫌い。「考えさせられる」や「エモい」並みに何も言ってない言葉な気がする。「素敵」って言っておけば相手が喜ぶだろうみたいな魂胆が嫌いだし、穿ちすぎだが、「素敵って言葉を使ってる私が素敵」みたいなニュアンスすら感じるときもある。


ちなみに素敵の辞書的な意味です(出典:デジタル大辞泉小学館))

す‐てき【素敵/素的】
1 自分の気持ちに合っていて、心を引かれるさま。非常にすぐれているさま。「—な服装」
2 程度がはなはだしいさま。


特にインターネットにいる女性(特に2000年~2010年代を生きた人びと)には、変に丁寧ぶるのが美徳みたいな文化みたいなところがある気がする。その層が特に「素敵」を使いがちで、特に他人の家のエピソードに対して「素敵なお母さま(orお父さま)ですね!」みたいなのを見た日には「うわーーーーやめてくれよ」と思う。他人の家の父母に対して尊敬語である「お父さま、お母さま」を使うのは適切であると頭ではわかっている。わかっているけれども、話の内容のフランク度合いからして「お父さま、お母さま」は違うだろう、と思う。つまり、「より丁寧に、大仰に表現することで自分の位を上げようとする」姿が嫌いなんだと思う。さらに言うと時と場所をから適切な言葉を探そうとする手間を省いて「素敵」で雑にほめようとする魂胆が嫌いなんだと思う。

ですが、この論を展開していてふと気づいたのが、「話者はたぶんそこまで考えて発言してないよ」ということです。「そのニット素敵だね」と言った人は「良いと思ったら相手に伝えよう」と軽い気持ちで「素敵」と言っただけな気がします。つまり、彼・彼女らが使う「素敵」=「他社への思いやりの具現化」の可能性が高いです。私の言葉にこだわり続けている行為こそが、「他人を慮る」という点においては敗北しているのです。

さて気づきましたか? 私がこのブログで「素敵」という表現を一度も使ったことがないことを…(検索で出てくるのは本の引用文中に出てくる「素敵」だけです)。
ちなみに今まで貰った感想で一番嫌だったのは「素敵でした!」です。「よかったです」のほうがまだいい。同人女が知り合いが発行した同人誌を「御本(なぜか御が漢字)」と呼ぶのも嫌い。


日記

今日はライムスターのライブなので朝の通勤電車でMVをウキウキウォッチング。それなりに暖かい日でよかった。会社でその日やることを終え、急いで取材へ。そんなに難しい案件でもなく、スムーズに終了した。仕事を終えると開演まで1時間を切っており、急いで武道館へ向かう。このチケットをとったのは転職したての夏頃で、「半年後のライブ仕事続いてるかな…」とひそかに心配していた。まさか単独で取材行った帰りにライブに行くことになると思ってなかったので、人生…と思った。
入場時にポキッと折るタイプのペンライトが手渡され、同封されたチラシに「アンコールの際、サプライズで点灯しましょう!曲が始まったら点灯してください」と書かれていた。通路から、スモークのもやがかった会場内を見ると心が躍る。今日は仕事から直接来たのでスーツ姿だった。同じような人が結構いるような予感がしていたが、周りを見渡してもスーツの人はおらず、案外会社帰りに来てる人も着替えてから来てるのかもしれない…と思った。
予定の18時スタートから、15分押しての開演。レーザーが多用された派手な照明(クラブみたい)に驚き、「そうだこれヒップホップのライブだった」と急に現実味が増してくる。昨年発売のニューアルバム『Open The Window』のタイトルを体言したような、窓枠を模したセットをバックにOpen The Windowが流れ、そのまま「After 6」。アトロクリスナーとしては、毎日聞いているサウンドを武道館で聞けるのが嬉しい。「My Runway」、「予定は未定で。」が終わるといきなり岡村靖幸さんが登場し、子芝居を挟んだのち、「マグカフィン」。こんなに早く登場する!?心の準備が出来てないよ~~岡村靖幸さんがひたすらかっこいい(オタク女的にはマグカフィンで一本推しカプの話を書きたいなぁと思ってしまう)。
季節の三種盛りで「世界レベルでダサいと評判のジャケット・マニフェスト」がサイネージに並べられた瞬間はちょっと笑いそうになった。ジャズィ・カンヴァセイションのReiちゃんとSOIL&"PIMP"SESSIONSのセッションがかっこよすぎる。一番よかったのはhy4_4yhとの「なめんなよ1989」!!本当に感動した。私が辛いときに聞いていた曲でもあり、彼女たちにとっても大切な曲であり、いろんな感情が曲によって一気に解放され、涙が出てきた。鬼気迫るパフォーマンスってこういうことかとも思った。
そして戦争反対へのシュプレヒコール、そしてスチャダラパーとのForever Young!あっという間に2時間が過ぎた。

アンコールで3人が登場すると、会場の早漏野郎たちがペンライトを点灯。(あれ?曲が始まってからじゃないの?)と思いつつも、みんなが点灯しはじめたので自分も点灯した。すると「あれーなんだか青いねー」と宇多丸さんが気づく。ある観客が「サプライズ!」と言うと「あっ、サプライズ?みんなのぶん用意してくれた人がいたんだ。へぇーありがとね」と喜んでいた。こんな感じでよかったのか?(笑)アンコールはOnve Again、DJ JINの一本締めで終了。満ち足りた気持ちで武道館を後にする。

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ライブ終わりはラーメンと決まっているので、塩ラーメンを食べてから帰った。気持ちがいっぱいすぎて、なかなか腹に麺が入っていかない。残すわけにもいかないので何とか間食した。こんなことってあるんだと思った。そのくらい楽しいライブだった。
最近やることが多すぎて「あちらが立てばこちらが立たず」状態で、足踏み状態のあれこれがあるけれど、待ってろこれから本気出す!

読んだ本

能町みね子『『能町みね子のときめきデートスポット』、略して能スポ 』

西高島平、吉原、野田、武州長瀬など、通常はデートスポットに上がり得ない地を訪ね歩く本。まさに逆張り文学。連載媒体は「モーニング」だったらしく、タモリ倶楽部っぽい雰囲気で、高いテンションで書き綴られている。写真ではなくイラストで解説が入るのが面白い。

中野 信子・ジェーン スー『女に生まれてモヤってる!』

「女に生まれてモヤってる」ことをひたすら議論する対談形式の本。「設定された女をやり続けるのに困難を感じたことがある」と話すスーさんと中野さんの人生「バグ」報告書。いやほんとうにこれなんだよ。生きずらさはバグ。ながらく社会は男性のものであったところに、女性が参入するようになって、そこを男性ナイズのままで運用しているのがまずおかしい。だからこそ現代の「理想の女性像」は男性主位の社会によって作られた産物であり、現実問題、仕事も家庭も育児も両立できるスーパーウーマンなどいない、と言い切っていてよかったな。
男ヲタが「アイドルの写真集(水着あり)について、公然の場所でいかに性的に効能があるかを語る」のが本当に嫌いなんだけど中野さんが「男性がビキニ姿の女性を目にすると脳の思いやりを司る部分が働かなくなり、人間ではなくモノとして見はじめることが科学的に証明されている」と言っていて(まじかよ…)となってしまった。
仕事ができる女性は「あの人仕事はできるけど、結婚はしていない」と揶揄されるのに、男性は一切言われないのはおかしい。ノーベル賞を受賞したマリ・キュリー(キュリー夫人)ですら、研究内容ではなく「母として、妻としてどうだったのか」に焦点を当てる日本社会はおかしいと断罪していた。それは本当にその通り。無能な男性課長より有能な女性平社員がたくさんいるし、そういう光景を何度も見てきた。それでも地位も給料も無能男性課長の方が高い。下駄をはかせてもらってる分際で「女の方が楽」などと、二度と言わないでほしい。


観た映画

誰も知らない(2004年、是枝裕和監督)

育児放棄され、子供たち4人だけで暮らす家族の話。
はじめは母親と5人で暮らしていたが、やがて蒸発し、帰ってこなくなる。長男の明だけが外出の許可を出され、その他の3人は家から出られない状態が続く。当初は現金書留で送られてくる仕送りで生活で来ていたが、やがてそれも途絶える。
電気や水道が止まった段階で、3人は外の世界へ出る。これがこの映画のターニングポイントとなる。外出が制限されていた3人とそれを見守る主人公の明はとてもうれしそうにしている。4人にとってはユートピアだが、生活は困窮し食うにも困る状況であり、ディストピアの渦中にいる。廃棄のおにぎりなどをくれる若いコンビニ店員は「警察や福祉事務所に相談したら」と助言するが、「相談すれば4人バラバラになってしまう。前も(それで)大変な目にあった」と明は断る。ひとりひとりの健康や肉体的な安全より、4人の精神的な安全をとっわけだ。子供4人だけで暮らしていることを、周囲の人は知らない。でもそれが4人の安寧なのだった。

是枝監督はこういう家族もの描くのが本当にうまい!子供がつらい目に合っているのがつらくて、休憩を入れながらしか見れなかった。明がゲームセンターで友達を作ってきて、その友達たちに家に占領された末、疎遠にされる描写がかなりしんどかった。末っ子が事故死した後に母親から現金書留が届き「みんなのことよろしくネ たよりにしてるよ」とメモをみたときの絶望と言ったらなかった。この母親は本気で子供だけで生活できていると思っているのか…。末っ子の遺体をスーツケースに入れながら「大きくなったんだね」と言っているのが本当につらかった。

ジョーカー(2019年、アメリカ、トッド・フィリップス監督)

お馴染みのサイコスリラー映画。感想は「福祉の力でどうにか普通の人間らしい生活をできたいた人が、福祉の支援が打ち切られた結果、薬で抑え込んでいた精神疾患による症状を露呈し、最悪の事態に至らしめた例であり、予見可能性は十分にあった」でした。だからこそリアリティがあって面白かった。社会福祉の重要性がよくわかる…。
みんなの笑いものにされているシーンはとにかく見ていてつらい。彼自身ケアされるべき人間なのに、母親のケアを一人で行っているシーンもつらい。同僚が「護身のために」と銃を渡した銃がいろんなトラブルを引き起こすのが寓話的だった。


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アナログの観劇・映画鑑賞ノートを全然つけられていないので、週末まとめて書きます。アナログ・デジタルの隙を生じぬ二段構え。