狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。字書きが高じて今の肩書は記者です。

検索避けへのスタンスについて

検索避けと届けたいユーザーに届けるための手法について

shinunapzrv.hatenablog.com

私が検索避けに対して思っていたモヤモヤが明文化されていて感動した。私は、変に伏字にしてるせいで苦手なものに被弾してしまった際に「ウッ…ちゃんと○○って書いとけよバカヤロウ!」って思ったり、「界隈」って…めんどくせぇな…関わりたくないな…と思ってまう人間なのですが、同士にのみ伝わる言葉を使う=そのコミュニティに片足、もしくは両足を突っ込むことになるので絶対にしたくなかったんですね。でも萌え語りはしたい!でも…しかし…と考えた結果、

①オンラインの場で萌え語りをすることをあきらめる
②そのぶん作品に萌えを反映
③これだけは譲れねぇ!という意見を同人誌にペーパーとして添付する

という体制に至りました。
結局、検索避けをしないことで人が離れていったり批判を受けることを恐れているわけですね。リスクとメリットを天秤にかけて、損切りをする方向に動きました。

でも最近それもゆらぎつつあり(やはり言葉でないと伝わらないこともある、相互方向のコミュニケーションは取れなくとも「伝えるのをあきらめる」をあきらめたくない、と思い始めている)どうしたもんかなぁと、スタンスの方向性を考えあぐねています。
腐女子の社会は「典型的出る杭は打たれる社会」だと私は思っています。でもそれを恐れてどうする?と反発する思う自分と、本当に公式に迷惑をかけてしまったらどうしようと怯える自分がいて、結局はこのままのスタンスで行くんだと思います。やはり自分の中にある他人の視線から私は逃れることは出来ない…?届けたいユーザーにまでメッセージを届けることをあきらめたくはない。

今ひとつ思いついたのはpass制でぷらいべったーに書きなぐるか…「誰も見ねーよ」と言われそうだが、たかが趣味のインターネッツ、公共の福祉に反しない限りで私のやりたいようにさせてくれや。

上のブログの方とは多少求める方向性は違いますが、こんな人もいますよということで、本件、ひとつご拝承いただきたく(日立構文)これからも他人の褌を履いている、ただのいちマイノリティであることを自覚して生きていきます。



日記

最近犬と触れ合う機会があったんですが、やっぱ生きてる犬ってかわいいなと思いました。数年前に実家の犬が亡くなって、それ以後はなかなか生きてる犬を触る機会がなかったんですが(それこそ死んですぐのころは道で犬見かけるとちょっと悲しくなったりして、自分からなかなかトライできなかった)久々に触れることができて良かったです。
飼い主さんがちょっと咳をしたら「えっ!大丈夫? 大丈夫?」って感じで犬が顔をぺろぺろなめたり、逆に犬がむせたときに飼い主さんがすぐ「大丈夫か?」って声を掛けてた場面があって、なんかいいなと思いました。
犬飼いたくなったけど一人暮らしだし責任持てないので飼わない…でもいつか飼いたいな~。やっぱり大型犬がね…かわいいよね。実家の犬は30kg近くある大型犬だったので、子犬の頃しか抱っこしたことないのですが(成犬になってからは抱っこというか私が抱き着くような恰好だった)この前会った犬はチワックスというチワワとダックスのミックス犬だったので抱っこできた。かなり新鮮な気分。癒された。
でも世話大変なんだよな犬って。かわいいけど。かわいいけど!私は動物ですら「命を預かるっておっかねぇや…おらには無理だァ…」と思うので、人間の子供を産み育てている人には尊敬の念しかありません。


本屋や車内広告で見かける「凄腕内科医監修! 長生きしたければ○○するな」的な本(トンデモ化学かごく当たり前のことを強い口調で論じてる本)って誰が読むんだ…と思っていたけど、図書館に行くと結構お年寄りが手に取ってる姿を目にするのでなるほどね…と思った。
グーグルで「ヤクルト1000」について検索するとサジェストに「癌のエサ」と出てきてゲンナリした。ガチ目な口調で賛同する人もいたり…まぁ確かに糖は多いけど、そんなこと言ったらもう何も口にできないじゃないですか。シロタ株が悪さする訳でもないし。そこまで想像力をはたらかせることがむずかしい人がいることを想像してしょんぼりした。(しかし自分もそういう発想をする人がいることに想像力を働かせられなかったので、所詮は同レベルなのかもしれない)
それにしてもトレンドワードをチェックする癖がないので、そんなにヤクルト1000が流行ってるとは知らなかったな。そういえば昔、Twitterで局地的にジョアかミルミル流行ったことなかった?気のせいかな。こち亀なら両さんが「なに!ヤクルトが人気過ぎて品薄だと? じゃあワシが培養する!」と新しい菌を開発、トントン拍子に儲け話が舞い込んでくるが、結果的に両津菌が今ある有益な菌を死滅させてしまうバイオテロを引き起こし、「くぉら~!両津の大バカ者はどこだ!」と怒号を飛ばす部長に追いかけられるパターンになりそう。


昨日からはてなブログから見慣れない通知が来ていて、流れでアクセス解析を見たら閲覧数が爆上がりしていた。何事!?と思ったら編集部のおすすめとして紹介されていたという具合。こんなことある?(あった)

インターネットの海は広く、わたしはその海を泳ぐ誰にも捕まらない魚だと思っていたが、そうでもないらしい。可能性を感じた。

人間どうしの分かり合えなさについて

結論から言うと、人間は真に分かりあうことはできない。

私は「わかってほしい」という気持ちをできる限りで捨ててみたけど、全部は捨てきれない人です。もちろん伝えたいことはたくさんあって、それについての主張は端的に行う。でも、「それってどういうこと?」と説明を求められた時に、過去の「わかってもらおうと言葉を尽くしたけどわかってもらえなかった」経験や「分かってはもらえたけど受け入れられなかった」経験を思い出してしまい(具体的な過去の出来事を逐一思い出すのではなく、ダメだったときの徒労感だけがリフレインする)、結果、説明を放棄したり濁してしまうことが多いのです。

「どうせ分かってもらえないだろう」という前提で生きるとかなり生きやすい。他人に期待していないから。
個人的な話をすると、自分は音楽の趣味に関してそもそも周囲に「分かってもらえる」と思わずに大人になった。大人になってから偶然同じ趣味の人に出会ったときのことだった。「いままで周りの人と話あわなかったでしょう。辛かったよね」とまるで「この世の割とつらい方の不幸」のように言われて内心びっくりしてしまった。心の中で(そんなことはないが)と思いながら「ええ、まぁ」と答えてしまった。どんな小さなことでもなるべく諍いを起こしたくないから。しかし、音楽を楽しむのに他人の存在が必要だろうか? もし同士がいて語り合えれば楽しいとは思うが(実際楽しい)、それができないからといって自分の音楽体験がマイナスになることは決してないと思っていた。その人は「他人に趣味をわかってもらい、楽しみを分かち合うことが幸せ」という価値観のもと生きてきた人なんだろう。

もともと、自分は他人と繋がりたい欲が希薄で、基本一人で楽しみたい派の人間だった。というか、多分「関係を維持する力」がすごく弱い(≒自己中)。そのせいか「繋がりたいタグ」の存在意義が本気でわからなかった。繋がった所でどうするの? しょせんチヤホヤしてくれる人集めしたいだけじゃないのか? と穿った見方をしていたし、今もそういうきらいがある。
私の「関係を維持する力」の弱さは多分、「分かってほしいけど分かられない」経験や「簡単に分かられてたまるか」というつまらない意地が結局のところ他責化しているところにあるのだと思う。上の例で言うと、音楽に関しては自分ひとりのなかですべて完結出来ていたが、それ以外の分野では声をかけてくれた人同様、分かち合いたい気持ちが多少なりともあったんだと思う。
同時に、「分かりたいけど分からない」、「頭で理解できるが心では受け入れられない」他人の一面にぶつかる。ここから互いの価値観を擦り合わせるとなると、途方もない時間と労力が必要となり、じゃあもうついていけない、もういいや…という結論になりがち。


でもとにかく私はその時「音楽を語り合う仲間がいないのは不幸」だと言っていた人の気持ちを理解できなかった。相手も私の「仲間がいなくてもいい」という気持ちは理解できなかった。私はその場で「人間は真に分かりあうことはできないんだな」と、しみじみ思ったのだけど、この場合は単に私が説明を放棄したから「理解する材料がない」状態にしてしまっているんですよね。それはやはり愚かなことだったなと今となっては思います。

「分かり合えないから説明や付き合いを放棄する」のってやや粗暴な振る舞いだろうし、相手に失礼なんじゃないかとなって思うようになった。別に、相手に迎合するわけでも、自分の価値観を押し付けるわけでもなく、お互いの違いを認め、相手の大事にしているものを阻害せず、必要があれば折衷案を模索する。綺麗ごとのようだけど、大事なことだと思う。魂のぶつかり合いをしたいぜ…
そもそも、「人間は分かり合えない」前提があるからこそにコミュニケーションが生まれ、発達してきたのかもしれない。最初から分かり合えたらコミュニケーションする必要がないし。


結局、自分を誤解されることを恐れているのかもしれない。「分かってもらえない」ことは「自分の考えが及ばない形で相手に誤解され続けている」ことにもつながるから。

岡本太郎も誤解を恐れるなと言っていた(誤解は自分の陰であって実像じゃないのに何故恐れる必要がある。実像となるものが強く生きると当然誤解も比例して多く生まれるが、だからなんだ。ただの影だろう※意訳)
私はなるべく創作アカウントでは自我を出さないようにしています。なぜなら自分は誤解されたくないし、私の人間性が「他人の創作物を読むフィルター」を曇らせたらやだなと思うから。でも今は逆に思いっきり私の人間性が誤解されるような強烈な(≠過激な)作品を作ってやるぜという気持ちすら湧いている。


余談1)よく「頭のいい人はひけらかさない」と言われるが、「話したところで周囲に理解されない」経験を積んでいるから「話さない」、なんて側面がもしかしたらあるのかもしれない。あとは「意見の対立による諍いを起こしたくない」という側面もあるかも。世の中には「自分と違うことや知らないことを言われると『自分が攻撃されている』と認識して怒りだす」人がいるから。別に私が頭いいと言いたいわけではない。私は愚か者の自覚が大ありだ!!


余談2)私バンクシーのことすごく嫌いなんだよね。バンクシーという匿名性の中で社会批判だ何だを好き放題やってる感じが…だからこそ岡本太郎が実名で顔出しして「好かれようとしない」創作をしたのがうつくしく見える。でも私がこんなふうに創作アカウントとは違う河崎という名義で好き放題かいてるのも、バンクシーと変わらないのかも。単に自分の嫌なところを他人に見出してるだけの話だった。




……な~んてことを寝る前に考えていて、すぐにでも文章にしたかったのだがここでブルーライト浴びたらきっと今夜は眠れなくなってしまうという予感があり書かなかった。翌日に思い出しながら書いているが、寝る前に考えてた内容の1/5も論じられていない気がする。寝る前の思考ってなんであんなに加速するんだ。
結局のところ、私はこんな風にブログに自分の考えをまとめることで、安心したいのだと思う。文章は書き始めれば終わりがあるので(筆者が「終わり」と書けばなんであろうと「終わり」なのだ)思考が頭から分断される。それが全部であれ一部であれ、姿かたちが文章になるので、多少「正体が分からない故の不安」が拭い取れる。つまり安心する。自分の気持ちに折り合いをつけて生きていきたい。とっちらかりまくった文章の自覚おおありだが、自分の思考整理の記録として残しておく。


……そもそも人が分かり合ってる状態って…なんだ?(哲学)


ここから日記。先日、自分の尺度をわたしに当てて話す人にすごくイライラしてしまった。でも自分だって自分の主観に基づいて話しているし、人間誰しも一人称の視点を持っていて、価値観はそれに準拠しているのだからそれに対して過度にイライラするのはお門違いだし、きっと自分も知らず知らずのうちに他人を傷つけているだろう事実に気づき、己の愚かさに恥じ入った。

わたしは「己の愚かさに恥じ入る」という表現が大好きだ…出典はこちら
身の程知らずの名士 血を吸うカメラの餌食その愚かさに自らを恥じ入る夜/キリンジダンボールの宮殿』

やりました!

昨日ブログをアップした後、なんとなくプロットの再構成をはじめたら「これって…こうじゃない?!」「私って…こういうことを書きたかったんじゃない?」って具体的なイメージがむくむくと湧き上がってきた。
期は熟した、見つめる鍋は煮えない、ワインは寝かせることでうまくなる…びしっとハマるいいたとえがみつからないけど、今日こそその日だったんじゃないかと思う。何事もタイミング。
書かないで書くって大事だな。千葉雅也も言っていた。

プロットさえ見通しが立てばあとはなんとなかなる。○○さえ超えればうまくいくというのはだいたいが幻想なのだけれど、幻想があるからこそ前に進むことができる。
うまくあるな、きれいであるな、心地よくあるな。岡本太郎も言っていた。まずはとりあえずやってみる。もっと上手く書けるはず、という幻想と幼稚性は手放す。よし。

外部化されない思考は永遠に脳内をめぐり続ける。
インターネットはやらずに、本を読む、文を書く、絵を描く、運動する。
群れるな。孤独を選べ。孤独がきみを強くする。


法律もウェッブルールもクソ喰らえだ。俺が嫌だと言ってる。

久保帯人先生の言葉です。言葉の経緯はググってください(これは経緯を理解してはじめて重みの出る言葉なので)嫌なものは嫌だと主張する強さ。いいですね。姿勢が好きです。好き語録の殿堂入りしそう。
BLEACHの好きな台詞は「あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ」です。ちなみに私は打ち合わせのLINEを返してこないくせにSNS更新してる奴には毎度腹が立ちます。返せよ😡

…なんか自分、強い言葉に惹かれてしまうタチなのかもしれない。色々と気をつけなければならない。


今日は久々に定時で帰れて嬉しいです。帰宅時間最短記録更新しました。今別にもうひとつ同人誌を作ってるのですが、今月末に入稿できる状態にできるよう頑張ります。誓いです。

自身の公式ブログを更新した僕はタイトルを「やりました!」と題し/木下龍也

夏の終わり

シャバに戻ったぜ

今朝会社にいくのがとてもしんどかった。腹は痛いわ息は上がるわ…これは半分にメンタルのせい。自分はメンタルが腹に来るタイプ。もう半分は単純に体力が落ちて、かつ肥えたから。夏休みで本当に肥えてしまった。朝晩ウォーキングかランニングしていたが、運動不足が否めない。
電車がまだ空いていたのが救い。座って会社まで行く。今日はとりあえず職場に着けばなんとかなるから…と自分を宥める。自分を宥めながらする出勤ってしんどい。別に今の仕事じゃなきゃダメな理由もないし、本格的に身の振り方を考えなければならない。やりたいことが無いわけじゃないが、それを実現したところで生活できるか分からない。何をするにも先立つものは必要。夢はもう夢じゃないって歌ってたらぁらちゃん、助けて!!!!!

思えば7月の下旬辺りから割と不調の日が多くてすべてに対して鬱憤が溜まっていた。仕事に対しても、生活に対しても、趣味に関しても。どうにかこうにか宥めて、なんとか今の最善を尽くせるように、と思って行動していたが、もしかしたら色々限界だったのかもしれない。

2週間ほどすべての義務から離れて、かなり気持ちがゆっくりした。布団に入って将来の不安や過去の嫌な出来事を思い浮かべて眠れなくなることもまぁ、あったにはあったけど、毎晩寝落ちするまでとことん読書ができて本当に幸せだった。明日のことを気にせずに夜更かしするのは楽しい。最近、夜更かしができなくなったなぁと思っていたけど、それは生活を犠牲にしてはいけないという無意識下のセーブがかかっていたからで、すべてから解放されると夜更かしだってできるようになるんだなと思った。絵も描けたし、溜まっていた作業も少しずつすすめられたし、本当によかった。もうここまで来たら在宅を極めたる!意地でもここ(住んでる地域)から出んわ!!!とおもって、ずっと自宅周辺だけで夏休み過ごした。図書館、公園、スーパーくらいしか行ってない。完全にいつもと違うレイヤーで日々を過ごしていた。

夏の終わり

何回か公園で読書をした。屋外なので虫刺されだけが厄介だが、虫対策さえすれば最高に気持ちいい。本とシートとチェアを持って自転車をこぐ。途中で飲み物やお菓子を買って、公園に着いたらあとはゴロゴロするだけ。楽しい。流石に真昼間は暑すぎて無理だけど夕方になると普通に過ごせるくらいには涼しくなる。日が暮れてきたら家に帰って、シャワーを浴びて、ビールを飲む。最高!
今となってはちょっと足を延ばして渓谷の川べりで読書してもよかったなと思うが、あとのまつり。まぁ、いつかの週末に行こう。



引いていった潮がまた再び満ちるように、ゆっくり状況が良くなってるような気がする。7月はまさに「挫折を経験中!*1」だったな。なんか。良くなってるのは本当に気だけだけれど、病は気からというし。しかし毎年、夏休み終了後何らかの事件が起っている。今年も何か起こるんじゃないかと気が気じゃない。なんなの? 夏休み明けって人生の逢魔が時なのか? なんにせよトラブル起きないなといいな~と思っています(一級フラグ建築士?)。

自分の文章ってセルフ突っ込み多すぎてキショいなと思うが、直すのが難しい。


見た夢の話

H×Hの舞台のバックステージツアー&トークショーに来ていた。(夢の中の話、実際にはそんなものは無い)トークショーの最後、なんと冨樫先生が登場。しかし、ベッドに横たわったままで、見るからに具合が悪そうな様子。声は元気だった(何度も言うが、夢の中の話。実際にこんなことは無い)そしてなぜか、冨樫先生の前で参加者一人ずつ自分の夢を発表する
流れになり、私は緊張しながらも「私は舞台が大好きです!立派な舞台人になります」と宣言していた。私は舞台は好きだが、今はだいぶ熱が落ち着いてるし、舞台俳優になろうと思ったことなど一度もない。本当に謎。冨樫先生は静かに頷いていた(繰り返すが、これは夢以下略)。そこで目が覚めた。

寝る前に冨樫先生のTwitterを見たのと、その日ピングドラムの「きっと何物にもなれないお前たちに告げる」について考えたせいかもしれない。


読んだ本

萩尾望都「11人いる!」

恥ずかしながら萩尾望都初読。SFものだと聞いていたが、宇宙を舞台に密室ミステリ要素、恋愛要素、青春要素、SF冒険要素、性と種族の問題、いろんな要素が入っていて、それが互いに邪魔をせず、爽やかなラストへ導く。なんだこれは!これは名作と呼ばれるのも頷ける。それにしても萩尾望都の描く少年は美しいですね。金髪のツヤツヤした感じの表現が綺麗。フロルがずっと体格について気にしているのもかわいいですね。タダが昔の記憶を思い出すシーンが秀逸。ゾクゾクした。そして’16の演劇女子部で11人いる!を上演していたのですね…どぅーのタダと小田さんのフロル見たすぎる。

川﨑大介「僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ

三人称で語られるフィッシュマンズ。映画フィッシュマンズを見たときとは少し違う印象を受けた。デビューから佐藤の死まで傍にいた人。とくに「チャッピードントクライ」のときのかわいっぽさについて語ってるところがいい。わかる。かわいっぽいんだよね、初期の彼らって。そこで培われていた(もともと持っていた)やさしさがいかれたBABYとかナイトクルージングにつながっていくのかな。いかれたBABYは「好き」とか「愛してる」ってワードが一回も出てこないのに、100%のラブソングだって誰でも分かる。現世利益にこだわらず、僕は君を想う、それだけ。イノセントなかわいい愛だ。小山田圭吾に対して「俺こいつ嫌い」ってわざわざ言ってくるのがなんかかわいい。
そして米国音楽に掲載された海辺の写真、本当にいい。何度見てもいい。犬と肩くんでる佐藤がかわいい。



健やかに生きたいっすね~~。とにかくダラダラスマホ見てしまう時間をなんとかしたい。どうする? 書こう! 小説を。


最近になって「名作」と呼ばれるものを読んだり見たりするようになったけど、なんでもっと前に読んどかなかったんだと思う。でも、小説を書き始めたからそう思うのであって、きっと今後新しい趣味にハマったときは「何で○○(その趣味に関すること)してなかったんだ」と思うことでしょう。人生ってそういうもんじゃないですか?(投げやり)

*1:初めてを経験中

あ~まっさらな夏休み

夏休みです。
体調を崩したことによりまさかの長期夏休みが爆誕してしまいました。こんなに長い休みを過ごすのは大学生ぶりのことで、あの頃はどうやって過ごしてたっけ…と少し途方に暮れました。

思い返せば、学生の頃は休みといってもバイトなり勉強なり遊びなり、予定がいくつかあって完全な「なにも予定がない」休みではなかったんですね。とするとカレンダーがまっさらな夏休みは小学生ぶりということになります。十数年ぶりのまっさらな夏休み。
5日ほどで体調はほぼ全快(多少の咳と痰がでるくらい)したところで、さて、大手を振って外に出れるまでの間何をしよう…同じように自宅軟禁状態の友人に連絡すると「資格試験の勉強してる(笑)」と返ってきました。えらい。

結局私は…あつ森をしてました。2020年春の発売から数か月遊んだきり、放置していたあつ森です。ひさびさに私の島に遊びに行きました。住民に話しかけると「2年もどこに行ってたんだ!」と罵倒されるかと思いきや「久しぶりだね、元気だった?」と優しく接してくれました。じ~~~ん…
島では虫取りをしたり、魚釣りをしたり、まるで小学生の夏休みのように過ごしました。今更な話なんですけど、あつ森って適度にデフォルメされたグラフィックがすごくて、小さなセミでも「これはミンミンゼミだな!」とパッと分かるのがすごいですね。というか、私は虫も魚も名前が出る前からほぼ全種「これは○○だ」と判別できたんですが、これって小さい頃から虫取りや魚釣りをしてないと分からないことじゃないですか? そんなことに気づいて少し嬉しくなりました。


(ここからちょっとグロテスクな話なので苦手なひとは飛ばしてね)

知らないと分からないことで思い出したんですが、以前茂みの横を歩いているときに、ふっと何かが腐った匂いがしたんですね。私は瞬時に「ああ、たぬきが死んでいるね」と分かったんですが、友人は「なんでわかったの?」と若干怖い顔をしていました。つまり、この匂いを「たぬきの死んだ匂い」と分かる人は「たぬきの死骸」に遭遇したひとしかわからない匂いで、かつ、「猫やその他小動物の死んだ匂い」とも区別ができるくらいに場数も踏んでいる。でも友人はその経験がないから「なんの匂いかわからない」のだ、ということを理解しました。

(グロテスクな話終わり)



「知らないと分からないこと」って案外多くて、しかし同時に「知ってることを自覚してない」ことも多く、人間の認識の範囲ってあいまいだし、自分のなかの常識って常識じゃないんだなぁと思いました。…なんかすごく何が言いたいのかわからない文章になってしまった。

あつ森の他に、同人誌の原稿やお絵描きをちょこちょこ進めています。作業に飽きたら本を読んで、それにも飽きたらただゴロゴロする…ほんとうに小学生の夏休みみたいだ。楽しいです。
私はフィッシュマンズの「Thank you」という曲が好きです。曲の中で「今は何もするときじゃないよ 今は何もするときじゃないよ 今は何もするときじゃないよ この静けさだけが力をくれる」という歌詞があり、ゴロゴロしてるときよくこのフレーズを思い出します。凪から得られることもきっとある。

それにしても一日があっという間に終わる。一日ってこんなに短かいっけ?泣

自宅軟禁終了後、久々に外に出た感想

身体がなまってるなぁという印象を常に抱きました。なんというか、歩いているだけでけっこうしんどい。
私は平日土日にかかわらず毎日トータル10kmくらい歩いていたのですが、10日間全く身体を動かさないとそりゃ筋肉も衰える。立って歩くだけで体感の筋肉が悲鳴を上げる。特に背筋や腹筋回りが顕著で(筋肉が身体を支えるってこういうことか…)と骨身にしみた。あと食べる量はほぼ変わってないので、単純に肥えた。これは元に戻すのが大変そうだ。
それに、なんといってもマスクが非常に息苦しい。呼吸が浅く、深く息を吸えなくて息切れする。


夜、快気祝いを兼ねてひとりでロイヤルホストクラフトビールを飲みながら読書をしました。スプリングバレーのオンザクラウドは柑橘の風味とホップの苦みのバランスがよく、とても美味しかったです。
やっぱりロイヤルホスト好きだなぁとしみじみ思う。店員さんの接客がいいし、客層も穏やかで落ち着いている。料理も手が込んでいておいしい。なんかこう…村上春樹的空間を疑似体験しているなと思う。だって、村上春樹の小説に出てきそうじゃないですか? 夜のロイヤルホストって。ロイヤルホストのテーブルで長い文章を書きたい気持ちになりましたが、手元にスマホしかないのであきらめて読書をしました。でも、ここ最近で確実に一番気持ちが満たされた時間でした。



<読んだ本>
村田沙耶香「信仰」「生命式」 いずれの短編も、主人公の無機物的(notロボット的)な人格がすごい。エログロナンセンスともまた違う…形容しがたい世界観。
青山真治「Helpless」
・読書猿「独学大全」
・千葉雅也「動きすぎてはいけない」「意味がない無意味」「オーバーヒート」(再読)
panpanya「二匹目の金魚」「おむすびの転がる町」(いずれも再読)
・上坂あゆ美「老人ホームで死ぬほどモテたい」
三島由紀夫三島由紀夫レター教室」


その他はこち亀110~120巻をかいつまんで読んだ。連載当時(1998年~2002年あたり)はまだまだガラケー全盛期。ポストペットが出てきたりして懐かしい。戦車道やら時代を先取りするネタもあり、秋本先生の着眼点はやはりすごい。

あと、短歌教室の8月号「短歌ブーム」の記事がよかった。確かに2020年あたりから短歌ブームが囁かれていたし、私もそのころから本格的に読み/詠みはじめたけど、私のまわりで短歌をしてるひとは全くいない。「短歌ブーム」って実はメディアが言ってるだけで、本当は流行っていないのでは? と懐疑的なモヤモヤをずっと抱えていたのだが、すこし解消された気がした。

同人は私には早すぎたのかもしれない

だからと言って同人辞めないけど、ここ1年ほどの所感。


同人活動を続けていくなかで「私には同人は早すぎたんだ」と思うことが多々ある。私は意図的に人とのかかわりを避けているので、しんどくなりポイントは他人と比べてずっと少ないはずなのに。色々経験していくうちに、いくつかのパターンが見えてきたので、一つずつかみ砕いて紹介していく。


① 人の悪意・ネガティブな部分に触れたとき
最凶にして最悪のしんどくなりポイント。同人って他の趣味と比べて圧倒的に人のネガティブな部分に触れる機会が多い気がする。むしろ数か月前までは自分から積極的にそういう部分に触れに行っていた。(炎上、学級会、ヲチは一切見ないが、創作上の悩みや人間関係の悩みはなぜか結構見ていた)誰かの吐き出したネガティブを飲み込み、知らず知らずのうちに疲弊し、自分もネガティブを吐き出す。そんな悪循環に陥っていた。今は完全に足を洗ったが、一時期はネットの書き込みに本気でイライラしていた。

気を使うべき(とその時は思い込んでいたが、たぶんそんなことはなかった)ことが多すぎるし、一歩間違えば私も当事者になりそうな事例を見聞きしていると、「私には同人は早すぎたんだ」と本気で思った。くっだらないことに腹を立てているひとに腹を立てている自分がいて、(所詮顔も知らない他人の感情にどうしてこんなにカッカしてるんだろう…)と本気で虚しくなった。これぞまさしくエネルギーの浪費。


②いい作品に触れたとき
いい作品はいい(新次郎構文)。心がワクワクするし、癒されもするし、時には揺さぶられたり、涙したりする。いつしか自分もこんな作品を作りたいと思う。が、自分は怠惰な人間なので、なかなか実行に移せない。移せたとしても作品に納得がいかない。理想と現実の乖離をまざまざと見せつけられる。もちろん、瞬間瞬間でたのしいときはある。でも感じた幸せは長続きしない。心が段々疲弊していき、ペースが落ちる。ペースが落ちるにつれて自信が揺らいでゆく。キャラに対する萌えが尽きたわけではない。でも今は書き気分ではない。いっそROMに戻ろうかという考えが頭に過るが、創作の楽しさを知った今更ROM専に戻れない…同人は知恵の実だった…?いえいえ、、野球が好きだけど万年ベンチに座り仲間の活躍を素直に喜べなくなってしまった野球少年のような気持ちです。
つまり「素晴らしい作品をみること」が「自分が無力であることをまざまざと見せつけられる」出発点なので「私には同人早すぎたな」と思うのです。『臆病な自尊心と尊大な羞恥心』*1の発露なのです。勝手にいじけて勝手にしんどくなってるだけなんですが、このへんちくりんな思考はパターン化されてしまっている。ツレェ。


③ オフ本を作っているとき
わたしはオフを始めるのが比較的早かった。ネットにはじめて作品をアップした4か月後には同人誌の原稿を入稿し、本を作っていた。自分の書いたものが物理的な本になるのが楽しく、どんどん作った。いい本を作りたいので、参考がてら他のひとの本もたくさん読んだ。そんな中、私はあることに気づく。みんな忙しいなかバリバリやって、あんなに素晴らしい本をハイペースで作っている――と。他人と比べることが不幸の始まり。比べなきゃいいのにどんどん比べて辛くなる。なんか私、そんなに頑張ってなくない?てか、頑張ったところで、たいしてさ…みたいな気持ちになってくる。もちろん出来上がったものは自分の宝物になるけど、同時に言葉にし難いもやもやが蓄積されてくる。それにオフ本はお金や即売会(現実世界でのやりとり)も絡んでくる。それもほんの少し、ほんの少しだけだけしんどさの要素として加わってくる。




なんで突然こんな文章を書いているかというと、受動喫煙的に見聞きした炎上について魔が差して調べてしまい、久々にダイレクトに人のドロドロした部分触れてしんどくなってしまったからです。これもこれでネガティブ文章なんですが、ブログという個人の城なので許してくれい。誰かに相談したところで多分解決はしないだろうし、結局同人はやめない。きっと相手を困らせてしまうだけなので、文章にしました。でも、こうして全世界に公開してるってことは「こんな自分を分かってほしい」と思っていることとイコールだと思う。分かってほしいと思う心と上手く折り合いをつけたい。


体力も時間も有限。自分のことだけ考えて生活したいよ…でも他人のことを考えてしまうって、結局今に集中しきれてないから起こる事象なんだろうな。モチベーションというか、情熱は確実に落ち着いてきている。どうしたものか。小説を書きたいのにわたしの目指すべき桃源郷が見つからない。この文章も全然まとまらね~って思いながら書いて、実際まとめきれなかったし…どうしたものか。


「からい」の漢字「つらい」の漢字一筆足したら「幸せ」だ

今日の楽しかったことは、奈良県の地図を見ていたら古墳を沢山みつけたことです。

電車に乗らない週末

久々に電車に乗らない週末でした。電車に乗らない週末は時間が太く長く流れるので良い。今回も文量が多めです。千葉雅也note「冗長性のツボを押す」を読んだせいか?

土曜日の日記

朝起きて窓を開けるとどこもかしこも夏だった。近くの森から蝉の声が聞こえ、空は青く澄んでいる。雲一つない。吹いてくる風はまだ冷たさを含んでいる。これを逃す手はない!と、顔を洗って買ったばかりの自転車で近所の公園へ。木陰でラジオ体操を終えるとその足でパン屋へ行って焼きたてのクロックムッシュバゲットを買う。家に戻りコーヒー(残り少なくなった岡野大嗣ブレンド)を淹れて朝食。これ以上ない達成感である。
クロックムッシュは到底家では作れないクオリティで(バゲットのクロックムッシュだった)とても美味しかった。食べ終えると、洗濯機を回す。アイスコーヒーを淹れながら一服。おちてゆくコーヒーを眺めながらする一服は格別。

そのまま机に向かい昼まで作業。作字と来月末には入稿したい本の印字サンプルデータの作成。前回の本のフォーマットを引き継いでもいいが、変化を出したかった。フォント、フォントサイズをいじり、仮の表紙をクリスタで作ってそのまま入稿。集中力が切れたところで丁度お昼ご飯にする。昼は豆腐そうめんでつくるトマトツナそうめん。午後も作業をするのでお腹いっぱいになりたくなかったのでちょうどいい。皿を洗って、そのまま部屋を軽く掃除したのち作業の続き。作字の手直しと清書。今回のは結構うまくできたと思う。やっぱり自分って天才だなと再確認したのち、ご褒美とエネルギー補給に桃を食べる。八百屋で買ったもので、大ぶりで甘い。熟し加減も丁度良かった。

15時を回ったところで近所のプールへ。今まではジムのプールで泳いでいたので公営のプールに行くのはかなり久しぶり。夏なので屋外プールも解放されており、子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。30分程屋内プールを泳をゆっくり泳いで、忘れていた水の中を進む感覚を取り戻す作業をひたすら繰り返す。そして一段落ついたところで屋外プールへ。そういえば屋外プールを泳ぐのなんて小学生ぶりだった。水に入ると屋内プールよりひやっと冷たく、塩素が強く、濁っている。水底はぬめぬめしていて、水深が深いせいか、水面を泳いでいても体にかかる圧(水圧ではなく、雰囲気的なもの)も高い気がする。息継ぎをするごとに眩しい光が見えたり、水底に影が揺れていたり、そういう光景を見てすごく夏だなと思う。プールサイドで休んでいると、なんだかサウナの外気欲のような、そんな気分になった。完全にチルアウトだった。その日は1500mくらい泳いで終了。帰りがけにミニストップでいちごのハロハロを食べた。果実氷のハロハロをはじめて食べたがかなり美味しい。フレーク状の冷凍いちごの上にソフトクリームが乗っている。いちごが溶けるのを、盛夏の夕暮れを眺めながら待つ。そんな時間が至福だった。やっぱり私は季節のことが大好きだった。

ついでに気になっていた古本屋へ寄る。比較的新しい古本屋で(新しい古本屋って字面がいい)選書の感じも好きだった。もう一軒気になる本屋があったが、楽しみは少しずつということで今回はパスし、夕食の買い出しにオオゼキへ。「長い一日」で出ていたスーパーだ。入るととにかく珍しい野菜や果物が多くて驚く。かといって全体的な値段もそこまで高くなく、純粋にすごいなと思った。
帰宅即風呂、のち夕食の準備。揚げ出し豆腐と茄子の煮びたし、トマトときゅうりの塩昆布和えを作った。あすけんに脂質を注意されがちだから揚げ物は…と思ったけど、今日は油で揚げた茄子を食べたかった。ノンアルビールを用意し、オオゼキでかったネギトロ巻きと共に食べる。本当に夏って感じだ。
すこしテレビを見たあと、少しだけ机に向かう。その後ベッドで寝転がりながら「大都会の愛し方」の続きを読む。全体的に擦れていて、でもプリミティブな愛の欲求を感じる。
机に向かった際に、普段見ないようにしている自分の投稿をうっかりみてしまった。いいねはされているようだがRTはされていないようだった。つまり他の人に勧めるほどでもないと…と勝手にいじける。久々に数の魔物に襲われた。みんな好きなものは自分の中だけに秘めておきたいんじゃない? それに、今日はとてもいい日だったじゃないか、と自分を励ます。以前よりはネガティブ思考のループにハマりにくくなっている気がした。これ以上考えてもどうようもないし、身体も疲れているので読書もそこそこに眠りについた。


余談だけれど、自分はどこか「他人にわかってもらいたい」という気持ちが捨てきれない。一方で世の中には「自分の主張はほとんど分かってもらえる」と信じて疑わない人もいるみたいで(というか、いた)そのメンタリティはすごいなぁと思うし、自分の認識と世間との乖離に気づくまではそんなふうに幸せでいられるんだから、それはそれで羨ましいと思った。



日曜日の日記

意識が浮かび上がった瞬間、身体が重い、と思う。筋肉痛はそこまでひどくなかった(そりゃまぁ、水泳だし)が、なんとなく気分が重い。そのまま1時間ほど布団の中でゴロゴロしてしまった。この調子だと埒が明かないので9時くらいにやっと布団から出る。シャワーを浴びて、朝顔に水をやって室内でラジオ体操、のち納豆で簡単な朝食。洗濯機を回して一服、そのまま机に向かう。歌集を買うと必ず気に入った短歌を1ページ分ノートに書き写しているのだが、最近買った本はまだ書き写せていなかったのでその作業をする。3冊分やったところで集中力が切れた。なので休憩がてら大都会の愛し方の続きを読む…はずがいつの間にか寝ていた。起きたら14時。お腹は空いていないのでそのまま読書再開。大都会の愛し方、長い一日をかいつまんで再読、手塚治虫火の鳥 黎明編」を読む。本の感想は下で。夕飯はふるさと納税でもらったレトルトカレーとトマト。タイミングよくクール宅急便が届く。ルピシアのお茶アイスだった。食後のアイスとしてほうじ茶 鬼の焙煎(煉獄さん?)を食べる。濃厚な味だった。チョコチップがアクセントになっておいしい。
丸一日部屋にいると流石に体がなまるのでモーニング娘。のライブ映像を見ながら踊る。いい感じに汗をかいたのでそのままランニング。そとは28度と比較的涼しかった。相対性理論の「調べる相対性理論」を聞きながら走ったら5kmがあっという間だった。帰宅即シャワー、のち再び机へ。ランニング中に思い浮かんだ構図をスケッチする。が、上手く描けない。明日写真を撮りに行こうと思う。参考がてらpanpanyaおむすびの転がる街を数ページ模写。やはりpanpanyaさんは絵がうまい。背景描くの好きなのに私はパースのことを何も分かっていないなと思う。

私は本来、やりたいことが沢山ある人間だと思う。でもいろいろ理由をつけてやったりやらなかったりする。楽な方に逃げる。だらける。インターネットの世界に逃げて、結局何もしない。
岡本太郎の本を読むと「一日、いや一分一秒、生きる時間を無駄にしてはならない」という気分になる。とても焦る。そういえば(!)私には成し遂げたいことが沢山あるのに、私はなんて無駄な時間を…とベンチで涙するミッチーになってしまう。昨日の夜もミッチーになりかけた。文章が書けなくとも、絵を描いたり、字を描いたりすればいいじゃないか。うまくなりたいんだろう、と岡本太郎が話しかけてくる。正論過ぎて辛くなりかる。でも今週末は結果、色々できていた、と私が反論した。太郎は「お前がいいならいい」と不満げに頷いた。

結論から言うと、もっと絵を描きたい、思い通りに描けるようになりたいと思う。最近またダラダラスマホ見てる時間が増えて(どうにかせねばなぁ)と思っていたので、それをそっくり絵に充てたい。上の日記はさもみっちりスケジュールであったような印象だが、この週末でもだらける時間は確実に存在していた。そのだらけ時間を絵に回していたら色々描けたのでは、と後悔すると同時に、これが生活のゆとりなのだと思ったりもした。とりあえずソッカの解剖学をちゃんとやりたい。


今日の日記

そんなこんなでさあ週明けだぞ!と意気込む。仕事に行きたくないが、行かないと生活できないので仕方なく行くことにする。なんだかんだでいつもより5分早く家を出るという偉業を成し遂げたが、駅に着いた瞬間大変なことに気づいた。

家に弁当を忘れた!!

月に2回は弁当を家に忘れるのだが、大抵冷蔵庫に入れた状態のものを忘れるので大した問題ではない(夜食べるだけなので)しかし、今日はなぜか冷蔵庫から取り出したものをそのまま鞄に入れずなぜか、玄関の脇に置いておくという謎の行動をとってしまったのだった。帰宅する頃には確実に腐っている。ああ~~…とホームでひとり項垂る。食べ物を駄目にしてしまったというショックと、楽しみにしてたご飯が食べられないという二重のショック。というのも、今日のメニューはカチャトーラライスだったんですよ…(自分で作ったのではなく冷食)鶏肉をトマトで煮る系の食べ物が好きなので、すごく楽しみにしてたのに。次からは冷蔵庫から取り出した弁当はすぐに鞄に入れます。誓いです。

昼、買って食べたお弁当を食べてる最中も(ああ~…ごめんねごめんね)という気分になっていた。食べ物の(自分への)恨み…強し。

読んだ本

・パク・サンヨン「大都会の愛し方」
訳者あとがきの言葉を借りると「クィアの人間が大都会で生活することによって得る匿名性」によって交わっていく男たちの人生、といった感じの物語。でもその匿名性の裏には確実に親がいて、友達がいて、過去がある。その輪郭を如実に表した話だった。
ラストが死ぬほど切なくてしんどかった。(以下私の意訳の文章)「元恋人と飛ばした、願い事を書いたランタンは飛ばなかった。係の女性は「ランタンに穴が開いていたのかも」と独特の微笑みを湛えながら言った。たくさんの願い事を書いたがどれも本当の望みではない気がしてすべてに斜線を引いた。その時に穴が開いたのかもしれなかった。最後にただ一言、恋人の名前を書いていた」
やはり私はこういう離別エンドが大好きで、今度の話も気を抜くと離別エンドになってしまいそうだ。いや、二次創作はハピエンが見たいからハピエンにしたいけれども…

火の鳥・黎明編
火の鳥は昔民宿で「望郷編」を読んだきりだったので1巻にあたるこれを読むのは初めて。やっぱ手塚治虫って天才なのか? すごすぎる。シリアスとコメディのバランスが絶妙。人間の傲慢さ、生命への渇望、命を繋ぐことへの意地ともいえる使命感…とにかくパワーがすごかった。名作と呼ばれるものは名作と呼ばれるだけの理由がある。早く読まなきゃだめだと思った。


村上春樹意味がなければスイングはない
春樹がスガシカオの詞をべた褒めなのがすごく意外。いままでもエッセイを読んだ感じだとクラシックやジャズしか認めない頑固おやじかと思ってた。そう言えばアフターダークの作中でスガシカオな曲が流れていた。それにしたって、好きな音楽について自分の体験を交えて1冊書けるのはすごいね。


穂村弘東直子回転ドアは順番に」
穂村あとがきの「短歌友達の東さんは、この企画の中では恋人になった」のすさまじさ。恋人の歌を、うそっこでも、まねっこでも、恋人同士として詠み続ける魔力みたいなものを感じてくらくらしてしまう。短歌に挟まれた散文も不思議な世界観。観覧車や海ってやっぱいいモチーフだなと思う。
ゆびさきの温みを添えて渡す鍵そのぎざぎざのひとつひとつに
回転木馬泡を噴きつつ目を剥いて静かに止まる夏の沸点
背に文字を描けばくすくす読み上げる チ、キ、チ、キ、マ、シ、ンぜんぜんちがう


穂村弘、宇野亞紀良「恋人たち」
宇野さんの絵、よすぎる…ていうか絵がうまい…(こんなことを言うのもおこがましいが)鹿を食べるオスの人魚の絵ゾクッとした。ブルーのインクで描く人物ってなんかいいな。
洗濯機に入れる洗浄ボールのことを「プラネット」と呼び、最後海に投げ入れるの、ほむほむワールド前回って感じで好きだ。



蚊に脅えながらドビュッシーの夢を聞きコーラを飲んでブログを書いている


その他雑記
・「みんなのレールエール」という武蔵野産ホップを使ったクラフトビールがおいしかった。リッチな味わい、かつのど越しがいい!!ビール飲んだ~!って気分になれるビール。

トロピコ6を買った。シムシティより「独裁者」の人格が出るので、ヒャッハーしそうになり怖い。メキシカンチックな音楽が好き。

・はぁあたしは今日、中本を食べるわよ。暑い日には中本。寒い日にも中本。半年に一度のペースで食べたくなる。私は五目蒙古タンメンが好きです。冷やし味噌ラーメンも気になる。

・浅草に行きたい。久々にストリップみてホッピー飲みたい。浅草寺で煙を嗅ぎたい。なんなら浴衣も着たい。浴衣着たいンゴ~~~!!!