狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

こんなミラクルナイト[2023/1/6(土)]

新年あけましておめでとうございます、ということで今日は友人と新年会。日中時間があったので下北沢に寄り、本屋B&Bや日記屋月日を物色。その足で祖師ヶ谷大蔵のBOOKSHOP TRAVELLERに行く。日記屋月日では面白そうな(おそらく文フリでは見たことがない?)日記を見つけたので買ってみた。読むのが楽しみ。それにしても以前訪れた時より、下北沢がハイソタウン化している気がする。少なくとも、自分が大学生の頃に行った下北とは別の雰囲気になっていると確実に言える。とはいえ、そこまで街に想い入れもないのだが。

登戸で友人と合流し、藤子不二雄・Fミュージアムへ。以前川崎に住んでいて、自転車でこのミュージアムの前を通っていたのに一度も行ったことがなかった。中は藤子先生の原画がメイン。大長編ドラえもんでは結末を決めずに描いていたと知ってびっくり。藤子先生はとにかく「好き」を極めていた。恐竜や西部劇がその最たるもので、ドラえもんの作中にはその要素がふんだんに登場する。好きを極めて売れたなんてめちゃくちゃ幸せな話だなぁ…と思ったが、それは技術に裏打ちされたものであることも確か。アトリエの再現部屋には沢山の本があった。やはり、素晴らしい作品を数々作り出している人はインプット量が違う(宮崎駿岡本太郎のアトリエにもお内示ことを思った)。展示が終わると、屋上の広場に出て、ピー助やコロ助と写真を撮った。コロスケカワイイナリィ…テレビ版のキテレツ大百科しかしらないので、原作のコロ助は目がイッちゃってることを初めて知った。


夜は吉祥寺の柗亭で新年会。言わずと知れたSHIROBAKOの聖地だ。10年間ずっと見続けてきたSHIROBAKOで、武蔵境や吉祥寺の聖地(遠いところだと富士急のジェットコースターも行きました)はあらかた行ったのだが、柗亭だけは行けていなかった。おかみさんが出迎えてくれる。料理はどれも美味しく、特に金目鯛の煮つけと、おにぎりが本当に美味しかった。しばらくすると、SHIROBAKOの上映会(?)が開始。SHIROBAKOの聖地でSHIROBAKOを見ることに感動していると、大将から柗亭の名刺をもらう。「今野上先生が来ているよ」と教えてもらう。(あ、だから上映会始まったのか)と思っていたところ、向こうからお声がけいただき、ご挨拶をさせてもらえることに。しかもサインとみゃーもりのライブドローイングまでいただいてしまった…。12月に不運が続いていたが、こんなミラクルナイトが待っているとは思わなかった。

家に帰ってからSHIROBAKOを見ながらまたひとりで酒を飲んだ。2期の三女制作の方がシナリオ的には好きなのだが、1期の悩んでいる絵麻の姿が今の自分に突き刺さる。


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真っ白な想いに夢のかけらを描いて動き出す未来


読んだ本

國分功一郎『目的への抵抗』

講和形式で書かれているため、読みやすい。コロナ以前・以後ではものの見方や価値観が全く違う世の中になったんだと思う。自由が制限される中で、本来の目的からどんどん遠ざかる(cf.〇〇警察)世間だったが、それらなどをひっくるめて、「目的への抵抗」=「自由をめぐる争い」が書かれている。学生からの質疑に答える形式もよかった。

高田かや『カルト村で生まれました』

ヤマギシ会と思わしきコミューンで生まれ育った筆者のコミックエッセイ。食事を十分に与えない、本を読ませない、娯楽の制限、親と引き離して子供たちと世話役の大人で暮らす。チャウシェスクの落とし子みたいにならないといいが…と思いながら読んでいた。この村の「子供らしさ」って「大人に従順に従う意思のない子ども」ってことなのかもしれない…と思った。そして一番残酷なのは世話役の人でなく親だよね…村の教義に全面的に従って自分の子供の気持ちは無視するのだから。

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大好きなコラムです。
そもそも生きている限り誰かの世話になって、何かしらの迷惑はかける。だから迷惑をかけずに生きるのは不可能なのだ。

>「他人に迷惑をかけるな」という規範は、その裏返しとして、「他人に迷惑をかける人は非難されても仕方がない」という含意を持つ
これは本当にそうで、今の過度な自己責任論につながっている気がする。一方でハンターハンターに登場するジャイロの父親のように「子のせいで厄介ごとを増やしたくないから」と言う意味で「人に迷惑をかけるな」と言う親もいるので、悲しいですね。

だから人に迷惑はかけていいと思いますよ。助け合えばいいので。






不規則な生活で体重増加が止まりません🥺