狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

好かれなくていい

近頃ものすごく寒い。朝家を出るとき気温がマイナスであることも少なくないし、近所の空き地にはほぼ毎朝霜柱がびっしりできてざくざく踏んでから駅に向かっている。寒く感じるのはきっと気温のせいだけではなくて、気分的なものも関係しているはずだ。私はもう土俵から降りたのだから、早く忘れたいと思いながら歩いている。今週家に居る時間はひたすら掃除とか整理、積読の消化にあてたい。あとは料理したりしたい。寒さと運動不足のせいで肩こりがひどい。

達成感を感じるとともに疲弊と無力感が体に残っている。遠い太鼓を読み返した。旅の終盤にこんなことが書かれている。「この3年間の意味はいったい何だったんだろうと僕は思う。何やかやあってもとの出発点に戻ってきただけじゃないのだろうかと思うこともないではない(略)無力感は無力感として疲弊は疲弊として残っている(略)彼らが予言したように、ただ単に歳を取っただけで、何ひとつ解決されてはいないのだ。でもこうも思う。もう一度ふりだしに戻れただけでもまだいいじゃないか、もっとひどいことになる可能性だってあったんだ、と。」
これを読んでいるうちにだんだん怒りが引いてきて、自分はどうしてほしかったんだろう、と考える。私はたぶん、私の話をちゃんと聞いてもらいたかったんだろうな。苛立ちと後悔を数えながらとりあえずの最善を尽くして、幸福がやってくるのを待っている。疲れたな。

待つ。ああ、人間の生活には、喜んだり怒ったり悲しんだり憎んだり、いろいろの感情があるけれども、けれどもそれは人間の生活のほんの一パーセントを占めているだけの感情で、あとの九十九パーセントは、ただ待って暮らしているのではないでしょうか。幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。みじめすぎます。生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。

――太宰治「斜陽」

ついにカリモクを買おうと思って公式サイトを見に行くと、10月に約10%値上げしていたことを知った。まじか…買っとけばよかった…今年は本当に値上げが続いていて、常に「いつ買うのか? 今でしょ」状態。賃金も10%くらい上がってほしい。公式オンラインショップでは納期が1.5か月ときた。完全にタイミングを逃した、と思う。夏場にも買おうとしていたけど、夏のタイミングで5万近くを思いきる勇気は無かったし、結局結果論でしかない。買いたいが買おうに変化したきっかけも、シーシャのソファがカリモクで「やっぱ座り心地いいな」と再確認したからであって、これも結果論。死ぬまでの日割りが安くなるから、欲しいものは(熟考の上)さっさと買ったほうがいいな。1か月半なんてあっという間にやってくるから買うなら今買ってしまえばいいのだが、どうせなら近所の家具屋で注文して買おうかなという気持ちになっている。


見た映画

THE FIRST SLAMDUNK(2022年、日本)

これはアニメ映画ではない。1000%の漫画映画だ!
漫画の絵がそのまま映画になった感動がそこにあった。冒頭は沖縄で少年二人が屋外コートでワンオンワンするシーンから始まる。その時点で(今までのスラムダンクとは違うんだな)と思う。そして明かされていく宮城リョータの過去…父の死、兄の死、知らない土地へ引越、三井との因縁…しんどく感じているはずのリョータがある意味透明な存在となっており、それをバスケが「今ここ」へと繋ぎとめている。主人公でありながら、ある意味で「バスケを未来につなぐ舞台装置」のような立ち回りだった。
とにかく試合シーンの選手視線の景色や躍動感がすごい。これはフル3Dアニメでなければ作れない映画だと思った。モーションキャプチャをもとに、映像作品として快感を生む動きに修正されたんだろうなというカットもたくさんあり、こだわりを感じた。自分は初めから3D賛成派だったので、ここまで素晴らしい映像を作り上げた井上先生はじめスタッフたちに称賛を送りたい。選手達の肉体の厚み、重み、熱気がリアルに伝わってきた。
試合中の静寂の演出もよかったけど、そういうシーンが何度か訪れたので、ここぞ、という場面に絞ってほしかった気もする。山王戦のあとのアフターストーリーも、この二人ならやってくれるはずという気持ちになれた。昨今のリアルの日本バスケ界の躍進と重なる部分もあり、希望に満ちた終わり方で良かった。
私はスラムダンクでメガネくんが一番好きなので、メガネくんの爽やかで一生懸命な姿をスクリーンで見ることができて良かったです。あと安斎先生の高解像度たぷたぷが見れてハッピー!
 

RRR/S・S・ラージャマオリ(2022年、インド)

立川シネマシティのインターバルあり上映で見ました。ラージャマオリ監督前作のバーフバリ・伝説誕生、王の帰還が面白かったので上映前から期待が高まる。
火と水、そして緑が象徴的。埃と汗と熱い友情、そして筋肉。予告編で川に落ちた子供を救出するシーンを見ていたが、本編を見たことで火と水にちゃんと意味があったことを理解して感動した。義兄弟ものというか、血縁のない二人が兄弟みたいに親しみ合ってる姿が本当に癖なので、ずっと(最高!最高!)と思いながらダンスシーンに至るまでを見ていた。
すごく熱いシーンがつづき「ど~なっちゃうの!?」というところでインターバル。インターバルのある映画は初めてで(通常RRRもインターバルなし上映だが)なんだか舞台の幕間みたいだなと思う。トイレを済ませ、売店ジンジャーエールとシナモン味のチュロスを買って食べた。3時間の上映で膀胱と集中力が持つかだけが心配だったので、休憩時間があってほんとによかった。
後半は前半の伏線が一気に回収されていく。登場人物全員に守るべき仁義があり故郷があり、それを胸のうちに秘めながら生きているんだなぁと思った。それはインド人に限らず英国人にもあるはずで…本作は民族解放の映画でもあるため作中では終始悪役として書かれていた英国人だが、そんなことを思った。英国人たちはしっかり上流階級の英語でおっ!と思う。Orderの言い方とか。「兄貴には!仁義があったのに!俺は何も知らず!」と必死に薬草ゴリゴリするビームがかわいい。そしてラーマが弓を引くシーンがかっこいい!!!インドの差別の歴史、独立の歴史、民族の違いを世界史の授業レベルでしか理解していないので、勉強したいと思った。本編に関係ないが、ヒロインのシータがなんとなく上國料萌衣さん似でドキドキした。

※拷問シーンが痛かったり血が出たりと刺激が強めなので注意(個人的にはムチのシーンがきつかった)


読んだ本

鈴木涼美「ギフテッド」

ギフテッドと聞くと、高IQを持って生まれた子供をイメージするが、主人公は夜の街の住人で、身体には母親から押し付けられた根性焼きの痕を隠すための刺青が入っている。そんな母は病気で余命いくばくもない様子。入院したある日、「母のファン」だと言う男性から800万円を貰う。しかしそこから母と子になにか変化が起きるわけでもなく、以前から抱き続けているうすら寒い虚無感を手放さずに母の死をただ迎える。ドアが閉まる音が象徴的だった。夜の包容力と底の無さ。母が子を想う気持ちも、子が母を想う気持ちも嘘ではないし、虐待の痕も母親の過去も嘘ではない。

児玉雨子「誰にも奪われたくない」

アイドルと兼業作詞家の話。作詞を担当してるアイドルGの女の子が窃盗を繰り返しており(仲間内外、場所問わず)主人公も知らず知らずのうちに身の回りのものを奪われていた。前半に感じていた違和感が後半回収されていく。iPhoneSE2とかAirPodsProなど、固有名詞が何度も何度も登場して、さすがにくどいと思った。同僚の林もまた主人公性格を奪う存在であり、何かとペースを乱される。「林の中の私を押し付けないでよ」というセリフの通り絶えず憤りを感じている。
全身の穴という穴を塞いでいないと不安になる、という感覚わかる。自分も外にいるときは常にイヤホンしていたい。目や口は自力で閉じられるけど耳は閉じられない。だからイヤホンやヘッドホンでふさぐしかない。


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What do you want? Is it necessary?
つんくさん…歌詞を頭でなく心で意味がわかったよ…


なんとなくだけど、自分が村上春樹が好きなのは、村上自身が読者に好かれようとしていないところなんだろうなと思った。

寒いけど元気出すためにこれからジョギングしてきまっす!