都会に住んでいると「一人口は食えぬが二人口は食える」はマジだなぁと思う。普通に稼いでいるはずなのに生活にどんどん金が吸われていく。地方(と言っても名古屋とか仙台とかのレベル)に住んでいたらもうちょっと貯蓄なりなんなりできただろうなぁと思うが仕方がない。
夫婦や友人同士で暮らしている人を見ると「生活を互助できて羨ましい」という気持ちが湧く。そのリレーションシップが羨ましい、という気持ちがないでもないが、割合としては薄い。どちらかというと、リレーションシップを築くだけの器量と思いやりがあるのが羨ましい。金銭的・精神的な互助のため、また季節の移ろいとか日々の生活のよろこびやかなしみを分かち合うために誰かと阿佐ヶ谷姉妹みたいな生活がしたいけど、今更共同生活ができるのか?という気持ちになっている。多分無理な気がする…絶対どこかで揉める。新條まゆ女史やジェーン・スー女史、石田ゆり子女史くらい稼げたらモーマンタイなのだろうけど。
田舎になくて都会にあるものは「文明と文化」であって、とにかく田舎にいると文明と文化に触れられないのでつらい。だからこそ多少きつくても都会にしがみついていたい。今はネットがあるので地方でも十分文化は得られるが、やっぱり直接見なければ伝わってこないもものたくさんあるわけだし。
田舎出身の人と話すと毎回話題に上がるのは「都会の高校生は生活の中に文化があって、気軽に触りに行けるのが心底羨ましい」ということだ。田舎にはとにかく文化がない。それを知ってる大人もいない。これが本当にキツかったし、嫌だった。都会にはとにかく選択肢がある。それはとてもすばらしいことだ。
田舎のきつさは「相互監視システムの強固な基盤が構築されている」ということにも起因している。それはよそ者も例外ではないので、やっぱり田舎で暮らすのはきつい。
この話を読むと、子供の頃を思い出してしんどくなるな。車とバイクの免許を手に入れた瞬間、FFで浮遊廷を手に入れたとき並みに移動の自由があがって、うれしかった。この話を考えると、仮に地元に戻ったとしたら子供の頃より自由度が高いので生きやすいのではないか? と思ったが、ムラ社会の未婚者への風当たりは厳しすぎるのでやっぱり無理だな。
それはそれとして、最近は女性同士のマッチングアプリで知り合った人とご飯に行ったりしている。今日は夜ごはんを一緒に食べようという話になっていたので、日中同人誌の編集をしてから行った。私は合う日を昨日だと勘違いしていて、化粧して電車に乗って待ち合わせ場所についた時点で気づくというポカミスをやらかしていた。相手に「着いたよー」と連絡しようとスマホを見ると「じゃあ6日でお願いします!」と自分が送ったメッセージが見えて、あれ、今日って6日だっけと思って日付を確認したら5日だった。早まって相手に「着いたよー」って送らなくてよかった。その日は適当に駅ビルで食料品を買ってすごすご帰った。
今日こそちゃんと遊ぶ日。高円寺の山形郷土料理を出す店に行った。ウェルカムボードにきてけろくんが描かれていてかわいかった。料理は全部気の利いた味でものすごく美味しかった。気の利いてるタイプの店に行くととてもうれしくなる。芋煮は上品なあじつけでおにぎりとよく合う味。月山筍の肉巻きや馬刺しも絶品だった。
今日ははじめましてだったのだけれど、そんな感じもせずに楽しく話せた。相手の職業が自分にとってものすごく興味のある分野で、裏話みたいなものも教えてくれた。勉強になる。
異性とのマッチングアプリは苦痛になることしかなかったが、同性同士だと本当にストレスフリーで楽しい。
このアプリはTwitterのような機能がある。その投稿を見てると結構な頻度で見る系統の投稿がある。「〇〇な彼女に甘えたい。甘えさせてくれる人いませんか〜」という投稿なのだが、これを見てると男も女も変わんないなと思う。「恋人出来たら○○したい」系が多くて、思わず綿矢りさの「人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに」を思い出す。レズビアン界隈、なぜかメンヘラと疾患持ちが多くて地雷原を歩くみたいに知り合える人を探している。自分は別に恋人は探していないのだが。
帰りにユーハイムのプリンを買って帰った。風呂上がりに食べる。固めプリンと滑らかクリーミープリンの中間の食感で、バニラビーンズの風味が強く、おいしかった。
最近のマイブームは東京駅で東京のお土産のお菓子をちまちまたべることである。いままであまりお菓子は食べない方だが、仕事中の小腹満たし用を兼ねて購入している。この間は10年ぶりくらいにごまたまごを食べた。ごまの蜜がおいしかった。あとは芋屋金次郎の芋けんぴや、バターバトラーや、資生堂パーラーのクッキーや柿山のおかきを食べたら太った。当たり前すぎる。この夏地味に痩せたので油断した。
お菓子を食べるようになったのはたぶんポッドキャスト「となりの雑談」の影響。たびたびお菓子や食べ物の話になるので、つられて食べたくなってしまった。食べたお菓子がどれも東京でしか買えないものなのは、今の自意識がそうさせたからに違いない。
読んだ本
点滅社編集部編『鬱の本』
作家、文筆家、詩人、アーティスト、出版関係者などが84人が鬱の時に読む・読める本をまとめたもの。ここで言う鬱は病気の「うつ」に限らず、病気のうつに限らず、日常にある憂鬱、思春期の頃の鬱屈など、様々な「鬱」を指す。
鬱にもいろいろあって、さびしさや、やるせなさ、もどかしさやイライラ、いろんなものを内包している。それらをすべて「あっていい感情」として処理されているようで、そこがよかった。美談だけを咀嚼するのではなく、ただエピソードをエピソードとして飲み込む感じ。
谷川俊太郎の随筆のうまさはやっぱりピカイチだなと思った。初谷むいの「きこえる声で話してくれた」、瀧波ユカリ「Life Goes On」も良い。
自分が憂鬱な時にも読める本は乙一『小生物語』とpanpanya『魚社会』だろうか。