朝起きて薬をもらうために通院しようと思ったけれど臨時休診だった。トホホ…と思いながら3kmくらいランニングした。なんだかんだ言い休日の幕開け。
仕事で万策尽きそうになったのは回避出来たが、相変わらずやばい状況には変わりないので、ストレスが体調に出始めた。ここ数ヶ月花粉由来以外の体調不良は全くなかったので(体が変になるのってこんな感じだったな…)と思い出した。自分の場合ストレスがかかるとお腹の筋肉が張る→逆流性食道炎ぽくなってうっすら吐き気が続く→左耳の調子がおかしくなるの順番にエラーが出る。まだ音は低く聞こえないが、時おり耳鳴りがするようになった。とりあえず内耳のめぐりを良くする薬を飲んでストレッチをするしかない。
今週末は終わらなかった仕事を持ち帰っている。本当に本当に仕事がしたくない。今の仕事が嫌なのではなく、仕事自体をしたくない。そもそも働きたくない。
時間ができたので上野のデ・キリコ展に行くことにする。移動中に文フリで買った本を読んでいると、日記を書くためのサークルのようなものがあると知った。その人は「自分ひとりじゃ書き続けられないから」といっていて、そんな人もいるのかと思った。先に継続があって、後から中身をついていかせる方法で日記を書くなんて考えたこともなかった。自分は何かに強制されなくても大体のことは継続できるのでそういうのもあるのか…と思った。それはおそらく完璧を目指していないからで、できない日、やらない日、したくない日がちょこちょこあっても別に長いスパンで見ればやらなくてもいいやという感じでいる。
その人は子供がいる人で、お子さんはたまにおもちゃを買ってもらったりしてていいなぁと思った。私は親に自分用のおもちゃを買ってもらったことがない(おもちゃはお下がりや近所の家庭から貰ったものとかはあったのだが、自分のために用意されたものはなかった)家庭がある人の日記を読むと自分の子供時代がいかにあれなのかを思い知らされるので、ちょっとしんどくなる。というか、妹は何故かシルバニアを買ってもらえていて、私は妹と遊んでいたのだけれど、今思うと何故…とは思う。
自分の社会的価値とか考えたこともなかったな…と思う。私は本当に働きたくない人間なので、私が働いてるだけでありがたいと思えよ!という傲慢な考えを持っている。「働けてるだけでありがたいと思わなきゃ」と心の底から思う人もいるけど(まぁだいたいは私もそう思うけど)資本主義社会において被雇用者の方が基本的には保護されるので私は強気で行く。あんまり大きい声では言えないけど……払うべきものを払い、警察のお世話になるようなことをしなければ、あとは私は私でいるだけで良い。
とはいえこの先50年くらい人生が続いていくの無理すぎるな…という気持ちになっている。明日死なない保証はないわけだがまぁ8割がたは人生が継続していく訳だから、やんなっちゃうなと思う。20代前半の頃はずっと人生がこの先続いていくことに本気で絶望していて、最近ようやくちょっとずつ絶望することを諦めることができていたが、最近仕事が無理すぎることも相まってそんな気持ちになっている。なのに毎月節税のためのiDeCoが口座から引き落とされてるのを見ると本当にアホらし!!!と思うし、本当に馬鹿みたいだ。
普通の人は今後の人生に絶望したりしないらしいと社会人になってから知って、かなり驚愕した。こっちは生まれたときから罰ゲームみたいなもんなのに…なんとか人生が少しずつ良くなるように自力でやってきているけど、これを継続しないといけないとなると結構心にくるものがるある。JTC辞めなきゃ良かったかな。あそこにいればつまんなかろうが肩身が狭かろうが確実に食えはする。
本当に働きたくない。かといって家庭に入る的な生活がしたいのかと言うと、それは死んでも嫌だ。死にたいというよりはそもそも生まれてきたくなかった。そもそも生まれてきたくなかったというのは、小学生くらいからずっと頭の中にある感情で、普通にこれがデフォルトになっている。甘ったれたこと言って、と言われるかもしれませんが、あなたもハードモードで子供時代を過ごしてみてから言ってくださいねと思う。こんなことをずっと脱毛中に考えていた。生きる気力もないのに大金払って今後体から毛が生えないようにするなんて馬鹿みたいだなと思った。
こんな感じでデ・キリコ展のあとは上野周辺をぐるぐるめぐってから、脱毛6回目に行った。家では結局仕事はせずに映画を見て就寝。仕事は日曜日にやる。デ・キリコ展の感想は後日書く(展示会自体は面白かったのでおすすめです)。他人の日記を読んでも「ケッ、お気楽極楽がよ」としか思わないから多分結構疲れている。成人するまでのことは誰にもケアされずにきたし、これからも自分でケアしてくしかないのかもしれない。カウンセリングは色んな意味で現実的ではない。
今日見たことではないが、以前から感じていることを書く。
美術館に行くとたまに「男が女の尻や腰をずっと触っている」カップルがいるんですけど、あれはたから見ると本当に気持ち悪いからやめてほしい。他人が他人に性欲(のようなもの)を向けてる姿を見るのって本当に気持ち悪い。彼女側ももやめさせろよと思う。別に手を繋ぐ程度ならなんとも思わないんですが…本当にそういうのは家でやってくれ案件でしなかない。こういう話をすると「嫉妬してるんだろ!」という頓珍漢な謎理論をぶつけてくる人がいますが、どこが羨ましいんだそれ…自分にとっては美術品を見に来たのに突然ネットのエロバナーが目の前にスライディングしてきたみたいな不快感がある。
美術館でなく、街中の行列とか遊園地でも見る。性欲の発露が公然と受け止められている状況が全く持って意味不明だ。ヤフー知恵袋を参照したら「単に触り心地がいいから触っているだけ」という意見もあったが、公衆の面前で他人のプライベートゾーンを触るのが本当に理解できない。
読んだ本
熊谷早智子『母を棄ててもいいですか? 支配する母親、縛られる娘』
『母という呪縛 娘という牢獄』の順番がなかなか回ってこないから、似たジャンルのものを借りてみた。いわゆる毒親の母に育てられた娘が母親と距離を置くまでの経緯がルポ形式で語られる。
インタヴュアーが一貫して「母を許さなくてよい」という姿勢を取っており、その姿勢に救われるものがある。子供にとって親は絶対的な存在で、他の家庭と比べようがないから成人してしばらくしないと親の異常さに気付けない。
自分で選んだ進路・職業・結婚相手・子供の進路までもが母親の掌の上で転がされていただけだと気づくのは相当なショックがあったと思う。大人になっても指図される、金の無心をされる人も多く、離れるのは相当大変だったと思う。モラハラ親に育てられた人はモラハラ配偶者につかまりやすいというのもものすごく分かるなぁ…と思った。