狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

にわとりの庭

お題「人生で一番古い記憶」

あれは3歳くらいの頃だったと思う。私はいつものように祖父にねだって、納屋の軒下で飼っていた鶏を柵から出してもらった。
納屋はわりあい流動的に物の出し入れがあって、自家製の味噌が入った自分の身長とほぼ変わらない大きさの味噌樽もそこで保管されていた。母や祖母が味噌を取りに行くときにいつも後ろをついてまわっていた。古いコンクリートの基礎の上には常に細かい土埃が舞っていて、履いていたズックの爪先でコンクリートを擦って痕をつけるのが好きだった。その遊びに夢中になっていると、シートや布がかけられた古い農具にぶつかりそうになり、自分の方へ崩れてくるんじゃないかと不安になっていた。楽しさと恐怖が、湿っぽい香りと共に乱雑に詰め込まれている空間だった。

白い鶏は立派なトサカが生えていて尾っぽも長かったからオスだったんだろう。鶏はその1羽しかいなかったから、完全にペットとして飼っていたようだった(その後話を聞いたところ、昔は5~6羽はいて、卵を取る目的で飼っていたらしかった)。鶏と遊ぶのが好きで、といっても鶏を好き放題抱っこして、触って、つついての繰り返しだったから、鶏からしたらたまったもんじゃなかったと思う。
納屋とは別の大きな小屋の前の、広い場所でいつものように羽を撫でて遊んでいた。祖父はその間、農具の整備をするらしく細かい螺子や工具が沢山入っている小屋の小部屋に引っ込んでいった。

鶏に名前はなかった。名前を付けると肉にするとき食べられなくなる、という理由で、やぎや牛をはじめとする歴代の家畜たちには名前が付けられていなかった。名前がついていたのは私が生まれる前に死んだ犬だけだった。
「にわとり~」
と呼びかけながらかわいいかわいい鶏を追いかけまわしていたその時、にわとりは突然羽ばたきだした。本格的に羽ばたいているのを見るのは多分それが初めてでやたらびっくりした記憶がある。そして鶏はどこかへ飛んで行ってしまった。
ちょうどその時、祖父が小屋から出てきた。「あー」と驚いた声で、しかし力なく叫んでいた。

鶏は消えた。鶏を逃がしたことは一切咎められなかった。しかし私は遊び相手が急に消えたことに、すこしだけ寂しさをおぼえた。鶏の柵はその日からただの柵となり、ほどなくして取り壊されてしまった。

これが人生で一番古い記憶。