狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

入稿~俺がヤバくなったら背中を刺してくれ~

昨日腹が立つことがあった。そういや前も同じようなことで腹を立てたことがあり、その時は「そういうことをされるのは嫌なのでやめてもらいたいんだが」と伝え、「分かった」と言ってもらえたけど、なんだかんだでまた同じ状態になったのだった。どうしたもんかな…。なんかもう、私がどれだけ言葉を尽くしても伝わらないのかな…という諦念ですよね、そこにあるのは。しかしここでコミュニケーションを節約するのもどうなんだ? ただの察してちゃんになってしまうのではないか? どうしたもんかなぁ、と悶々としながら台風の夜を過ごしていた。雨はそこまで酷くなかったがとにかく風が強くて、雨戸が揺れる音と蒸し暑さで熟睡できず、朝起きたら寝不足の時の目のコンディションになっていてしんどかったです。

でも生きている限り、今回自分がされたようなことを自分もやりまくってるはずで、人知れず他人を傷つけているという事実を自分につきつけると足元が崩れ落ちるような感覚に襲われますね。やりまくってる「はず」だというのは、人間は自分がされたことには敏感なくせに、自分が犯した過ちには鈍感だからです。(実は今年既にやっちまっている自覚があって、それについては本当に申し訳ないなぁと思っています)

黙っているということは、自分の中の正解よりも他人の中の正解を優先するということだから、でもまぁ時にはそれでもいいんじゃないか?と思いつつ、他人の中の正解を優先し続けているせいで憤りが蓄積し、その状態のままだといよいよ本格的にヤバくなるでしょう。だから、出来る限り伝えることをあきらめないほうがいいし、なるべく伝えたいと思うのですが、いざ人を目の前にすると(文面においても)適切な言葉を選んで対話を試みる、自分のことを伝え相手の主張を理解する、という行為のハードルの高さに慄き、そしたらもう限りなく「めんどくさい…」に近い感情になってしまうんですよね。コミュニケーションは諦めたら試合終了なのに自分はすぐ諦めてしまうので(それはそれとして自分の身を守る手段でもあるのですが)味をしめつつある今この状況はやばいなという自覚はあります。

うわぁ。自分って意地悪だなぁ、と思うので、意地悪な発言が多くなったら「最近ちょっと意地悪じゃない?」と言ってほしいし、本格的にヤバくなってきたら背後から刺してください。でも、本格的にヤバくなったらって、具体的にどこからが「本格的にヤバい」状態なんですかね。インターネットにいろんな意味で恥ずかしいことばかり書いている自覚があるので、もう既にヤバいのでは? 現在進行形で黒歴史を生産中!(「初めてを経験中」が好きすぎて何回でももじってしまう)でも踊るのをやめられねんだな。
そういえば「ヤバくなったら刺してくれ」というのは、自我を保つセーフティーネットのようであり、一方である意味他責的なニュアンスも含まれていませんか?ヤバくなった人がヤバい言動を繰り返しながら「俺は昔ああ言ったのに、お前は刺してくれなかったじゃないか!」と言っていたらどう思うでしょうか?「うわ~他責…」ですよね。なので他責思考にはならないように注意します…

最近、朝の凪いだ意識の中で昔の黒歴史(恥ずかしいより腹立たしい系の歴史)をアソートパックのように思い出すのでしんどいです。そんなおたのしみ袋はいらない。


観た映画

ヘレディタリー/継承(2018年・アメリカ)

「ミッドサマー」のアリ・アスター監督デビュー作。ずっと不穏でグロもあるため休み休み見ている(現在中盤まで来た)オープニングのドールハウスに近づくカメラ、そこから始まる家族の物語、もう嫌な予感がする。それにしてもアリ・アスター監督は「取り返しのつかないことをしてしまった」時の自責と悲壮感、それをとりまくカルトを描くのが上手いですね。

欲望の翼(1990年・香港)

ウォン・カーウァイ作品シリーズ。「脚のない鳥がいるらしい。ずっと飛び続ける鳥が唯一地上に降りるときがある。それが最期のとき」とうモノローグから始まる。香港らしからぬうっそうとした緑が一面に画面に映る。これは物語の終盤で意味が分かってくる景色だった。レスリー・チャンが相変わらずイケメンで、女性を誘惑するシーンで絶えず秒針の音が響いている。欲望の翼といい、ブエノスアイレスといいなんなんだろう…このレスリー・チャンのだらしない感じの隙のある色気は…サッカー場で引っ掛けたヒロインとどうこうなる気はなく、すぐ踊り子に鞍替えするのもずるいな~。天使の涙でも思ったが、中国の女性の「嫌なものは嫌だ!」とはじけるエネルギーがすごい。私もそのエネルギーが欲しい。演者たちを濡らす雨がどのシーンも印象的で、香港の熱気がこちらまで伝わってくるよう。ウォン・カーウァイ作品の湿度の高さは何なんだ?
フィリピンの実母を訪ねた帰り道、背後から人の気配を感じつつも決して振り返らない主人公。「大人になり切れていない、こどものままの意気地」が感じられて良かった。原題『阿飛正傳』は「チンピラの伝記」というらしい。(阿飛についてはググるおもしろいので調べてみてください。もしかして魯迅の『阿Q正傳』を文字っている?)本当に原題の通り、チンピラらしい最期だった。一見、邦題の「欲望の翼」は一見ミスマッチか?と思いきや、「実母の愛に飢えた男が複数の女を愛する」「実母に会いにフィリピンへ渡る」「足の無い鳥のモノローグ」を考えると、かなりいいタイトルだなと思います。


その他日記
・最近abemaの討論番組を見ることが多い。何がすごいって、平石アナの場が各論客の手綱の握る様子がすごい。脱線しそうになったら話を戻すし、場が停滞しそうになったら現状を簡潔にまとめて、話をうまく振る。各論客は平石アナの掌の上で踊ってるだけに過ぎないのかもしれない。

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過ぎ去る時間は流星の如く、あっという間に9月も後半になってしまいました。9月早すぎて怖いです。ライフログをつけたりつけなかったりという日々なのですが、本当に何してたっけ私、という感じです。(多分、先週はラジオ録ってスプラトゥーンして映画見た、後半は体調を崩し気味だったので寝てた)今の手帳が使いにくく、思い切って10月から新しい手帳にしたいな。連休で入稿完了したので、本格的に次の新刊の作業に着手したいと思います。