狂気の沙汰も萌え次第

雑記ブログのはずが同人女の日記になりました。

さっさとあきらめる

AirPods(右耳)を紛失した。
通勤途中、歩きながら前髪をいじろうとして顔に手を近づけた瞬間、指がAirPodsに当たり、外れてしまった。

カラン、カラン、ポチャン。

えっ……

外れたイヤホンは狙ったように排水溝めがけて転がり、見事にボッシュートされてしまった。
ゆるやかに水が流れている排水溝。少なくとも素人では外すことの出来ない構造、救出はほぼ不可能。
水の中なので棒に引っ掛けて取るのも難しい。

3秒後、私はあきらめて歩き出した。
会社につくまでの間、アップルのサイトを開き、右耳のみ(税込み1万1千円)のイヤホンを注文した。


もちろん、大事に使ってきたものなのですごく悲しい。でも仕方ないのだ。落としてしまったのだから。もう取り戻せない。
ある種の禊だと思って受け入れることにした。
イヤホンと昨日までの自分時を重ねて、うじうじした気持ちは捨てることにした。
大事なものを壊したり無くしたりした時は「自分の身代わりになってくれたんだ」と思うことにしている。厳格には違うけれど、ヘルメットみたいなものだ。実際、ヘルメットが身代わりになったおかげで、無傷のままでいられたことがある。物は自分を守ってくれる。

あきらめないことも大事だけど、あきらめると楽になることも結構多い。

私はあきらめて小説を書き始めた。小説を書くには書き始めるしか方法はないのだとあきらめた。
下手なのは仕方ない。別にいいじゃないか下手でも。それが自分なんだから。
短歌も小説も、始めた当初より今の方がずっといいものを書けていると実感している。頭でっかちになった部分も、もしかしたらあるかもしれないけれど、そのぶんいいところもどんどん増えてるはずだ。



ビートの惑星/モーニング娘。’21 にこんな歌詞がある。
「誰かを嫌ってたって幸せにも強くもなれない」
本当に、その通りである。冬からずっとこの曲を聞いていたけれど、この歌詞の本質にようやく気づいた。
誰かも、自分自身も、嫌っていても何も始まらない。さっさとあきらめて幸せになろう。

何事も、書き始めて見えてくることもある。